’08年末見仏記 おまけ 岡崎城&大樹寺
年末に東京→京都→愛知(私の実家)と日帰りのハードスケジュールの見仏の旅をしました。そのおまけ見仏記です。餅つきの次の日、父が「岡崎城に行きたい」と言い出し、両親とダンナと4人で岡崎城へ。岡崎城は徳川家康の生まれた城です。家康が江戸に移ってからも、「神君出生の城」として、本多氏、水野氏、松平(松井)氏と家格の高い譜代大名が城主となった城です。でも、あまりの年末ぎりぎり30日だったので、天守閣も家康館も閉まっていて入れず、公園をぐる~っと散歩しただけに終わってしまいました家康が能を舞うからくり時計を見て、八丁味噌アイスを食べ岡崎城をあとにしました。八丁味噌アイス、確かに八丁味噌の味。でも、1度食べればいいかな。やっぱり味噌田楽や赤だしの味噌汁のほうがおいしいな出る前に駐車場でこんな木を発見!名づけてエイリアンの木幹の上のほうにもうすぐ生まれそうなエイリアンがいるのわかりますか?そして、帰りの道沿いにあった大樹寺に「せっかくだから、ちょっと寄ってく?」みたいな軽いのノリで行ってみました。松平家の菩提寺で、家康ゆかりのお寺。今川義元について桶狭間の戦いに参戦し、敗れた際に家康が逃げ込んだお寺として知られているそうです。私は三河の出身だけど、知らなかった…山門は1641年徳川家光建立おお~立派なんだ~こっちのほうが私たちの好みじゃないかとのりのりで中へ。多宝塔(重文)1535年松平清康建立これが、大樹寺の最古の建造物だそうです。夕日に佇む多宝塔もいい感じでした電線が邪魔松平8代と家康の墓一番手前の立派なのが、家康のです。そして、いよいよ本堂に。本尊は阿弥陀如来坐像でした。平安末期の寄木作りで、京都の泉湧寺から迎えられたそうです。修復を重ねているらしく、金箔がきれいで新しく見えました。穏やかないいお顔でした本堂の柱には、家康の旗印となった「厭離穢土」「欣求浄土」と大きく書かれていました。住職の説明によると、大樹寺に逃げ込んだ松平元康(のちの家康)に、当時の住職13世登誉上人が、「厭離穢土欣求浄土」の教えを諭し、以後家康は戦国の世を穢土とし、平和な世を浄土として国を平定していったとのことです。本堂の脇には、寺宝が収められている部屋がありましたが、ここには入らず退散するととに。後で調べたら、阿弥陀三尊像と十六羅漢像、木造徳川家康坐像があったらしいです。私たちが帰ろうとしたら、何かの供養のお経が始まりました。女性2人だけでお参りしていました。ちらっと振り返ったら、住職のそばにペルシャねこがちょこんと座っているではありませんか。ねこもお経あげてたのかしら予定外の見仏でしたが、なかなか歴史の勉強をさせてもらいました。ランキングに参加しています。 おまけ見仏を堪能していただけたら ぽちっ ぽちっ としてもらえるとうれしいです。 人気blogランキングへ