合格!
合格!
合格!
合格!合格!合格!合格!
合格!合格!
合格!合格!合格!合格!合格!
合格~~~~~ヽ(`Д´)ノ
というわけで今日の午後辺りから異様にハイテンションなREXATHであります。
なんといっても第一志望です。
模試の結果と過去の合格最低点とセンターリサーチと教科別の勝手な予想点と全体としての評定とを見比べながら自己採点だけはできなかった日々に、一瞬で終わりが告げらてたあの解放感。
受験番号の設定からして工学部の掲示板の左端に張り出されることは分かっていたのですが、近くに陣取っていよいよ10分前ぐらいになってからは、浮き足立つと言うか、むしろ頭上にグイグイと重圧をかけてくるプレッシャーにかまけそうになるのを必死で両足で堪えていました。
しかしホントに受かってよかったです。
元々進学校に行くと決めたのは(偏差値のエサに惹かれた過去はまったく忘却しながら)自分自身であり、その決定が毎年冬の新聞に載る厳しい受験戦争に直接繋がるものとはつゆほども知らず、また知っていたにせよそれを数字で体感する事なしでは肌身で感じることもできなかったでしょうが、とにかく形の上では初志貫徹できたことを誇りに思います。
今でこそ世間では私立ブームですが、実情は美化されているほどは芳しくないと思います。
つまり賢い学校で国公立の合格者が多いのは、賢いやつらが集まるからという理由が大きくそこに入ったから賢くなると言うのではないからです(あくまで自分の学校を一例にしての話なので違う場合も多々あることでしょう)。
もちろんいい先生もたくさんいるのですが、そういうすばらしい人だけである学年を編成すると他の学年が死んでしまいます。
そんな理由で並以下の人間が教えてるのは痛み分けということで仕方ないのかもしれませんが、それが理系志望の私にとっては致命的なことに物理の教師だったんですよね。
定期試験は同じ人間が作るんですからなんとかなりますが、いざ高3になって過去問とかやりだすとひたすらつまるわけです。
夏の模試は皆揃って平均4割とかでしたから安心といえば安心でしたが、本番はセンター8割で計算しても英語のマイナスを考えると理科で6割ないとジ・エンドは確定していました。
実際夏期講習行こうか秋からは近所の駿台行こうか冬期講習はとっとくべきかと色々悩みました。
が、そこで発揮されたこだわりというのが『学校の力だけで受かってみせる』。
上に書いたような実情は置いといて、『塾に行く必要はあるか』という保護者の問に対して『学校が全部面倒見ます』と答えた担任団の声が残っていました。
そしてそれ以上に無駄高かったプライドというのが『公立なんぞに負けてられん』。
まああれです、青春を謳歌しているであろう共学に対する嫉妬心です。
この顔でもてようなんていう図々しいことは考えませんでしたが、勝手に膨らむ妄想のみを頼りに、今までやってきたあの色気のない単調な日々はなんだ、面白い友達がたくさんできたとはいえここ年単位で女子と話したことないぞ、世間は俺たちの数倍は楽しい高校生活を送っていたはずだ、頭がいいだとその冷ややかな眼差しとともに発せられるその言葉に隠された幾千もの刺にこの俺が気づかないとでも思ったか、ええいこんな不平等な世界などなくなってしまえ、俺に逆らう奴は皆消し去ってやる、何そんなものはただの思い違いだと、ならばオマエの生活を赤裸々にかたってみるかいい、それみろ俺のうらやむものばかりじゃないか、そんなやつらばかりであふれているこの世界なぞ不埒でえげつないだけだ......などとわけのわからん劣等感感じまくってた自分に、学校終わってからの時間すらもやつらと同じように塾に費やすのか、と問い掛けるといつも即答で『NO』と返ってきました。
読んでの通り、ただの阿呆です。
んなとこで意地張ってもう1年(で済むかは努力次第ですが)増えたらそれこそ元も子もありません。
実利をとれよという脳内の声もありました。
しかし泥とガムとコールタール混ぜたような性格は、そういった意見を悉く自分の体内にとりこみ頑なに自分の道を貫いたわけです。ですから、その心が折れたときというのはホント想像したくなかったです。
今となってはその片鱗ですら手元にはあまり残ってはいませんが、高3の12、1、2月とか一人でこの世の終わりとばかりに鬱ってましたからね。
いや~~何度でも言います、受かってホントよかった。
まあ大変なのはこれからと先生方にはお言葉を頂きましたが(こちらは本当の意味でお世話になった方々です、本当の意味でね)。
とりあえず今は遊びます、ひたすらに、そして全力で。
とりあえず今は遊びます、ひたすらに、そして全力で。