わきまえる。
『わきまえる』 ・・・人としての道理を承知している。
調べるとこのような説明が書いてありました。
発達障害のある長男はこういうことが不得意分野です。
空気を読むとか、場を察するとか、そして、このわきまえる、という行為。
最近ちょっと気がついたことがあって・・・
次男にはとても自然な笑顔で接することができる自分がいます。
考えてみると、次男は小さいながらも「わきまえる」ことができているのだと思います。
4歳には4歳なりの、人としての道理。
私の状況を見て、無意識にわきまえていることがよくわかります。
これは普通の親子では気がつきにくいかもしれません。
ごく普通の、自然に学んでいく、できて当たり前のことなのですから。
長男はそういうことが少し苦手。
そしてその特性は、人をとても不愉快にさせます。
きっとその特性が原因なのでしょう。
次男には笑顔で接することができて、長男にはつい難しい顔をしてしまうこと。
そこまでわかっている自分なのに、ついついイラっとしまって笑顔でなくなってしまう…
長男はさぞかし生きづらい思いをしているだろうと思います。
どの場面においても・・・
家庭でも学校でも、親に対しても友達に対しても・・・
自分の無意識のうちに相手をイラつかせていることで、何かしら不具合が生じているだろうと思うのです。
思い返してみると、小さいころ、ご近所でそんな大人の人がいました。
人の嫌がるようなことをズケズケと言い、傷ついてる相手のことなどお構いなしで自分だけ楽しそうに笑っていました。
なんて無神経な人なんだろう って思いました。
私はその人が大っきらいでした・・・
その人にそういう特性があるのかもしれないと気づいたのは、長男が発達障害だと診断されたごく最近のことでした。
私はお医者さんではないので、本当のところはわかりませんが、たぶん生まれつきそういう特性を持っている方なのだと思います。
みなさんの周りでも、そういう人が暮らしているかもしれません。
ちょっとだけ、温かい目でそういう人を見てくださったらいいな って思います。
この日記を思い出してくださればうれしいです。
そんなふうに思って、今日は日記を書きました。