よき夫として
二回の結婚でわかったことは、なにもない。ただ夫という存在は、茶飯事の妻の報告を聞く義務があるらしい。それらは、とりとめのない話で、ありふれた雑事の雑感のような、批判のようなもので、僕はぼんやりと聞くふりをしていただけだったのかもしれない。しかしむしろそういった会話はすべてを意味していたような気がする。 高尚な会話でないにしても、妻達はなにか聞いてほしい、話したいことがあるとする、それを耐えながら聞く夫、それは大切な儀式なのかもしれない。しかしそれらの話の解説は、どこかで聞いたことのあるような、ああ、そう、と、僕はうつろな返事をして、たしなめられたりしていたかもしれない。 土曜日の自由が丘は、ちょっとした、ショッピングで、日頃のうさを晴らすのだろうか、いくつものブテックをひきずりまわされて、おつきの人のような、それはそれで、たのしいものかもしれない。 夕方の東急ストアに、夫たちの姿はない。彼らは発泡酒を呑んで野球をみているのか、あるいは、高級外車のならぶシェルガーデンにも、夫たちの姿はない。彼らは葉山のゴルフ場に接待されて、週末は箱根で宴会なのだろうか。 家庭はそういったさまざまに、あるいは似たような、すばらしい、陳腐などうどうめぐりの、とりとめのない日々がすぎていくもので、つかれはてた僕には、とうてい苦痛以外のなにものでもなくなっていた。 忙しい夫たちは、長い休暇をとって、海外へ妻をつれていく、やがて愛する妻専用のベンツを買う。それは、理解ある夫で、元気で留守なためこのうえない。 週末の過ごし方を間違っていたのかもしれないが、いわゆる価値観のちがう相手を二度におよんでえらんでしまったことに過ぎない。 いまおもえば変化していく価値観に追従しないままに、僕自身が、その風景のなかに、ふつうに老いていくことに耐えられなくなってしまったというのが本心だろう、妻たちは、もはや僕がなにかになることを望んでいなかったし、僕が変化していることにすら、興味もなかった、彼女たちはきわめて日常的な要求を僕が夫としてクリアすることだけで、まあ、安泰の位置にいたのかもしれない。 それはとても幸せであることの具現性であって、社交であって、幸せにいきていることのお披露目、お裾分けのパーティーの連続だったから、僕はにわかシェフとしてそれなりにつかれた週末を、アンチョビサラダをもりつけて、ボンゴレビアンゴや、まぐろのカルバッチョなんかを作っていたわけだ、幸せなよき夫として。 (これは 著作で日記やまして回想ではありません:念のため)