小説と作者の距離 その他
at 2004 01/17 10:52 編集小説は事実ではない、かつドキュメンタリーやルポルタージュでもない。したがって作者の経験を記述したものではない。しかし林檎を剥くシーンを小説化する場合それは作者の経験に依存している。ここに本件の問題が顕在化する。私小説は私小説である。私が書く文章は日記でなく経験談でなくそれは私のイメージが作り上げるちいさな世界の物語でしかない。それが受け入れられない場合著作物として問題があるか、時代に遅すぎるか早すぎるかでしかないと、割り切っている。私は林檎を剥くが48Fの非常階段で行為した経験は残念ながらまだない。またそれを表現した経験もないが、必然性がないシーンは描写することもないと認識している。著作物はリーチを想定している。登場人物と読み手の関係性の醸成が作者の任務であり、その2者間の共有感覚なくして作品としての存在意義はないとも思う。しかしリーチ、到達、意識、感情、意思への共感、感銘、シンクロニシテイ、時代への迎合性に関しては、読者の好みに依存するところが大きい。またそれを無視して幸福な作品の誕生はない。(Apr 25, 2005 03:34:46 AM)