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カテゴリ:哲学研究室
主語を特定し論議にすると、その筋しか見えなくなる。
みつめ、みつめられ、特権、であった知性的認識が、奴隷に化ける。 人の持つ知覚のパースペクチズムはその防止に役立つが知的直観のみに頼るとヤバい。 科学的認識とやらに頼ってしまうからだ。 本来は感性を伴うパースペクチズムを持つ認識なのに。 独自の時空を失って、企画や空想に振り回されるわけだ。 情報が一つに絞られると、そうなる。 言うなれば三つ目化する、のである。 力関係はすべてそうで、一つに絞られると強力になる。 だが企画の奴隷に落ちる。 知覚のパースペクチズムをも失う。 カント先生の言うこれは、そこに集約される三つ目権能のことではなく。 ましてや科学技術的知見のことではない。 人というサルが本来持っている、感性を伴うみつめ(られ)のこと。 必ず、過去の反省を含むのである。 未来予測をも含む、人の認識の広がりのこと。 機械の、判断力アルゴリズムのことではない。 主語を特定し、共有論議に拘った単一の知見、ではないのだ。 誤りもする。 きわめておぼろげで幽玄な、範囲の特定できない認識形式。 思惟は知的直観とともにあるのではなくて、むしろこれとともにある。 オイラの先生がシツコク言ってた、知覚のパースペクチズム。 但し今は、問題の本質が三つ目としてしか見えていない状態なのだ。 現実操作に長けたユダヤ人は、このことに通じている。 但し彼らも一神教に拘るので、情報操作の魔術も三つ目になる。 自分の側に史観としてしか存在しない、神の認識を立ててしまう。 聖書にして敬虔主義なる、崇拝主義に落ちてしまう。 あるいは、こころを導く絶対の知性を立ててしまう。 後者がフランキストたちだ。 へりくだり、一歩引きさがっての反復確認が、一切ないのである。 共有組織で何よりも必要なのは、自らが不完全な罪びとであるというへりくだり。 人が、知覚のパースペクチズムでできている以上、何よりも必要なはずだが。 情報工学は科学技術であると自己宣伝して。 この「神の黒魔術」を立ててしまった。 コロナだとか、防疫だとか、騒いでいることの本質がコレなのである。 報道をロイターに一元化して、そこから支配する奴隷制度魔術。 別名を勝ち組思想とも言うらしいが。 北朝鮮の主体思想も同じものだ。 三つ目主義。 エクソゾームをウイルスだとして、死にかかかった人の細胞新聞に載せて脅す。 こんなことやって、奴隷支配は進んだかもしれんが。 未来予測をも含む認識の広がりはポイエシスに殺される。 なので、明日が見えない。 トンガの被災も、火山なのか、ポセイドンという人造神の力なのかすら明確でない。 三つ目の前に、ではなく。 自分の現実という、知覚のパースペクチズムの前にへりくだり。 神々の前に誓約(うけい)が必要。 それが、肥大した三つ目を、本来のみつめ(られ)に戻す基本だと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年01月18日 07時19分42秒
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