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2023年12月28日
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カテゴリ:哲学研究室
<紀元前412-323>
 語りたくなったのはソクラテスの孫弟子あたりになる、タル住まいともいわれるデオゲネスのほうで。
 タルなのか甕なのかはっきりせんが。
 後の修辞学時代のデオゲネス・ラエルティオスのほうではないが、そっちもついでに。 まあ同名のこの人のおかげで、情報が残った。
 デオゲネスは本もいっぱい書いてたようだが、散逸しているそうだ。

 ディオゲネスは哲学だけでなく「徳が人生の目的」や、という修辞学者も兼ねている。
 暮らし向きから見ても「得」でなくて「徳」なのである。
 「欲望から解放されて自足すること、動じない心を持つことが重要だ」と考えたようだ。
 そのため「肉体的・精神的な鍛錬を重んじた」、とあるように、徳への道筋、道徳を目指して、体育しながら苦界を貧しく生きた人なのである。

 晩年アテナイで乞食生活して有名になったのだが。
 教育などには、もともとたいそう恵まれてた。
 父親は、シノペ市で公金を扱う、お偉いさん。
 デオゲネスは、父の下で通貨鋳造職人の監督してたらしい。

 通貨を変造した罪で父は獄死、とあるが、たぶん政敵にハメられて父が殺された。
 デオゲネスも追放される。
 55歳の頃のようだ。

 このシノペ市は、陸続きのペルシャ領土の太守たちに脅かされていたらしくて。
 その破壊工作に使われてたのが、もっぱらカネ。
 金メッキの偽造通貨には、かなり悩まされていた証拠が残っているそうだ。

 これを見破るには貨幣に傷を付ける必要がある。
 これが、通貨を変造した罪に問われた原因らしいという。
 銀行に回ってきた偽造貨幣に気付かず流通させたのか、実態を暴いた方なのかはわからない。
 たぶん有力な地位に上っていたペルシャの工作員に、逆に国の法律盾にやられた、のだろう。
 偽造貨幣を罪に問えない、法整備の不備があったんやろか?

 父を殺されアテナイに逃げ込んだ彼は召使奴隷にも逃げられ、異邦人としての宿無しの暮らしとなる。
 住んでたピトス(甕)住居も若者に壊されたが、「アテナイ人はその若者を鞭打ちにし罰した後に代わりの甕を用意してくれた」と言う。
 彼はアテナイ人たちに、けっこう好まれていたらしい。
 ソクラテス張りの辻説法がウケてたのだろう。

 但し奴隷商によって捕縛されコリントス人へと売られたりもしたが。
 そこで子供の教育係までやって、福の神だと言われたり。
 どうやらキュニコス派の人々が彼を持ちあげて描いていた、いろんな本によるものらしいんで、あやしくもあるんだが。
 死もはっきりしてない。

 犬に噛まれて死んだとか、タコ食って当たったとか、息止める実験してたとか、いろんな意見があるようだ。
 犬とは極めて親しくつきあっていたようである。
 コリント人は遺徳を偲び、「犬が寄り添う形の大理石の柱を立てた」そうだ。


 「プラトンはディオゲネスについて(狂ったソクラテスだ)と評した」、という。
 知識や教養を「無用のもの」と、ディオゲネスがハッキリ言うからだろう。
 修辞学より哲学?。
 自分に、人並以上に備わっている豊富な知識や教養を、彼はさげすんでいた?
 これは怪しい意見。

 音楽・天文学・論理学を軽蔑、ともいうが、修辞学的な諸々を厭ったんでは?
 乞食暮らしでは音楽とは縁がなく、自然学は実用知識の体系なのだし、論理学なんて後の時代のものなのである。
 アリストテレスには数学的論理学風の講義録があるが、これも修辞学がローマで体系化したのちの時代のモノ。
 特に注目すべきは、「イデア論に反対」だった、これに要約されるようだ。

 つまりデオゲネスは、オイラの言う「絶対純粋論議へのハンタイ」教えてくれる、哲学上の大先生なのである。

 ソクラテスもプラトンも、イデア論は流行思潮として普通に受け入れ利用していた。
 (イデア論がプラトンの哲学説、じゃないんで、これは決して間違わんように)

 特にソクラテスは硬直症(てんかん発作)のさなかに出会う説明不可能なエクスタシーを、イデアと一体視していたし。
 プラトンは洞窟の比喩に見られるように、人間の認識の限界を示しすために自説論議にも大いに利用した。
 そのため、後世に、哲学というもんが誤解されていく、その原因にもなったのだが。

 デオゲネスは、それらの<イデア論議を明快に全否定>。
 哲学誤解の要因を、取り去って、なくしたのだ。

 「私には”机そのもの”というのは見えない」。
 うんうん、純粋な机なんてのはおつむに居座ったイデア・カルトにすぎんし、オイラの眼前にあるそれは、机そのもの、じゃない。
 プラトンは「それは君に見る目がないからだ」と言い返したそうで。

 その修辞的いい分も、そのとおり。
 オイラも、机そのものを見る目は持たないし、ロクに物事を修辞的に見る目が備わってない。
 デオゲネスの意見は、机そのもの、本質的(うふぉ)の否定にあたるんである。
 これは、「モノ自体はない」、と言い切ったカント先生の態度そのものでもある。

 運動の不可能(ゼノンのパラドックス)を論じている哲学者の前で、歩き回ってその論のおかしいことを示したし。
 すでにあった修辞学も仮想理論も大きらいになっていたようだ。

 そりゃそうだろう。
 敵の工作員摘発したことでハメ殺されにゃならん政治思想なんて、大きらいになって当然。
 プラトンなどは、国政から遠ざけられても文句も言わんかったようだが、ポリスのイデア的理想などには、未練たらしくしつこく関わっているし。
 他国の政治に関わりかけ、死にかけたこともあるようだが。

 逆にデオゲネスは、ポリスの理念などを真っ向から否定したりした。
 つまり「修辞学は完全否定の立場」なのである。
 これでは生きていけんのだが。
 「貴方は何人なのかと聞かれると自分はコスモポリーテス(世界市民)だ」と言い、
 「史上初めてコスモポリタニズムという語を作った」そうだし。
 
 これってグローバル修辞市民じゃないよ。
 グローバルな修辞を一切認めん、コスモ秩序を一切認めんグローバルなんで。
 カルト者には理解しがたいだろう。
 集合論にはなりえへん、あらかじめ破綻してるグローバル、というべきか。
 基礎が多神教なので、西洋人が一神教的に考えると、極度に怪しくなる。

 「女性や子供の共有を主張」したともいうこの意見なども怪しいのである。
 女も子供も、デオゲネスはグローバル共有物としか見てないと、西洋人はいうのであるが。
 この意見は、実は極めてムリがある。
 それらはモロに、彼が嫌いなはずの、<修辞学領域の意見>だからだ。
 この領域のモノを、彼は建前だけだが、全否定するはずなのだ。

 後の時代の手になる、キュニコス派でできた修辞学話だろうが。
 命題定義の、プラトン絡みの話もある。

 「プラトンが(人間とは二本足で歩く動物である)と定義すると、ディオゲネスは「ではニワトリも人間か」と言い返した」。
 「それを受けてプラトンが「人間とは二本足で歩く毛のない動物である」と再定義すると、ディオゲネスは羽根をむしり取った雄鶏を携えてきて、「これがプラトンのいうところの人間だ」と言った」。
 「その後、プラトンは先の定義にさらに「平たい爪をした」という語句を付け加える羽目になった」そうな。

 これらはたぶん、後の時代にできた話。


 さてその<キュニコス派>つうのは。
 まずデオゲネスの先生の話になる。
 アンティステネス<紀元前446年-366年>、に始まる哲学の一派閥である。
 ソクラテスの熱列な信奉者の一人。

 ソクラテスの弟子で、「師の質実剛健な実践面を賛美し、これを継承」というからにはやはり武道家。
 同じ仲間の、王族のプラトンなどとは全く別の修辞思想信条を持っていた。
 というより、それらを<無理に脱ぎ捨てようとしていた>。
 プラトンは、哲学から修辞的要素を脱ぎ捨てようなどとはしてないのである。

 アリストテレスによれば、「アンティステネスは無教養で単細胞である」というが。
 彼の修辞学には学ぶべきものがあったようで(アリストテレスは実務に特に疎いので)講義録にも引用などがあるようだ。

 アンティステネスは富や快楽を軽蔑?。
 「富は心のなかにあり」と言ってたらしいので、軽蔑じゃない。
 徳の実践による無欲自足の境地を理想?
 そりゃ修辞的態度だよ。

 「快楽よりはむしろ狂気を」ということばも有名らしくて。
 「欲望を満たすより、狂気になる方が私には好ましい」と言ってたらしい。
 まるで享有を語れるニーチェ。
 ニーチェは享有を禁止されてた。

 これは実は、修辞学上の大問題があるのだ。
 暮らしを立てていかにゃならん。
 だから「労苦によって獲得される快楽は否定しない」のである。
 まあ自分の奴隷に、労働は快楽だよとウソ言って、レトリック使って、生き血収奪してたってことだ。

 そう、これらは自分の無知を自分で知ること、といった哲学的信条ではなくて。
 まさに修辞思想の信条実践思想問題、なのである。
 それらを脱ぎ捨てようとしてアンティステネスは、ほとんど単細胞化してしまってた。

 人が暮らしを立て、生きるための政治理念。
 これが修辞思想の別名である。
 もっぱら共有の思想となる。
 世間では哲学思想とすっかり混ざってしまっている。
 だが修辞思想は、哲学者ではなくソフィストのものなのである。

 この修辞思想を、哲学から自然学ともども文書上で、きっちりより分けたのはアリストテレスで。
 図書、<タ・メ・タ・タ・フィシカ>で、明快に区分したのである。
 自然学のメ(の付け所)で。
 「形而上学」と誤って名付けられているベストセラー文書。

 後の時代の一神教徒たちの形而上学とは、まったくの無関係です。
 フィロ・ソフォス(愛知者)とソフィ・スト(知恵者)に、その本の中で、アリストテレスが切り分けた。

 愛知者は、自分で自分の無知を知る者、<享有者の自称>。
 知恵者は数学や自然学や修辞学の、もろもろの共有知識に通じた者で、<共有者の他称>。
 知恵者ではなく、フィロ・ソフォスのほうが哲学者なのである。

 哲学者は自称だから、共有のディアレクチークなしには知識の伝達も不可能になってくるのだ。
 哲学史にも書けなくなる。
 一方、ソフィストなしでは、哲学者は生きられなくなる。

 そして知恵者ソフィストが社会と折り合いを付け、個々人に知識を伝えていくには、修辞学も、哲学も、どうしても必要となってくる。
 だからプラトンもアリストテレスも、これらの否定は全くしてないのである。

 アリストテスはしかも、この修辞的な実務能力に弱かったことを自覚していたので、大衆演劇や市井の政治家たちの修辞的ポエチーケーを学んで、講義録ポエチカにまとめた。 この時代のポエム(詩)というのは、つまり市井の政治のこと、現実の人の暮らしのことなのである。
 近代的自我の叙情のことではないので、注意が必要。

 そのポエムの記述されたポエチカのトピカルな一分野、トピカが。
 のちにローマ時代の修辞学で、哲学理論の体系とみなされてしまった、というわけだ。 論理じゃない。
 修辞学理論。

 このややこしさが、わかっていただけるだろうか。
 まるで味噌もクソも根は同じ。

 哲学は享有感性のモノなのに、共有感性の詩が哲学を殺して、政治をやり、生きのびる。
 哲学史に背乗りして哲学を名乗って、その理論が拡散する。
 哲学や詩と無関係の組織人カルトであるユダヤ人が、唯物論から、修辞学的な史的唯物論で感性を追放して、光る硬い叙情に変えた。
 そのことで、この間の哲学史の事情が解って来た、という体(てい)たらくなのだ。
 
 アリストテレスの(タ・メ)・(タ・(タ・フィシカ))が、誤読されたのが決定的。 ギリシャ語の文法不備のため、へんな一神教的解釈が入り込んだ。
 後世、<自然学の次のもの>だとか、<形而上学>だとかに誤解されてしまったために。
 哲学と修辞学などがすっかり混ざってしまったのだが。
 もともとソクラテスの時代から、両者関係は若干曖昧でもあったのだ。

 タは、ギリシャ語特有の、ややこしい冠詞である。
 メ、というのがシュメール語からきたもの。
 目(シュメール古拙文字)、神々、神々の力、といった様々な意味がある。
 必ず複数形で単数はないのである。

 目は、現代のオイラたちにも読める文字なので、その意味合いの多様さは、あなたも知っているはず。
 八百万の神々が、ここにおわす。

 ヘラスの時代、すでに原初の意味は、かなり崩れていたのだが。
 メー・オン、という言葉などには、未だ、その一部の意味が残っていた。
 これは哲学用語で「無」なのである。
 オンは存在なのだが、メ-・オンで無。

 このタ・メが図書の表題として姿を消し、メ)・(タと、別門が一つになってしまって。
 メタという超越だとか。
 融合してメタ(ル=人々、アッカド語)金属)などになって。
 新しいへんな時代が来たのだ。


 修辞思想にすっかり囚われ、思惟がカルト化すると、哲学は身を隠す。
 哲学は自分の無知を悟って、そこで立ち止まり、感性の中に先験的にあるアルケーを求め、親しい対話へともたらすものであるからだ。
 硬直した政治理念を、ウーシアに適用して、切り捌くためのものではない。
 ナチスのハイデガー先生は哲学を、ウーシアに対する巨人の戦い、と規定したんだが。 ここにはナチス特有の修辞学があるとみるべき。

 一方、この修辞思想をきっぱり取り去ってしまうと、哲学も生きられなくなるのだ。
 生き物でなくなり。
 純粋論理や純粋知性、純粋経験に瞳着した、ニヒルな知恵者となりきってしまうからだ。
 虚無主義に飲まれる。

 この怪しげな関係は、ソクラテスからずっと続いてるものである。
 この問題を引きずり出すのが、哲学史で、オイラが突然太古に立ち返った理由でもある。


 <キュニコス派>というのは。

 「犬のように自然に従って生きることを提唱」したアンティステネスに由来する。
 もちろんこの人も、ソクラテス同様の富裕階層なのである。
 そのアンティステネスで取り上げられる問題に、彼が<モノの論理的定義を認めなかった問題>というのがある。
 哲学の論議では、彼が修辞学を否定したからだ。
 モノをモノとして認めることが、すでに修辞なのであるんやけど。

 アンティステネスはソクラテスに信奉し、享有しか認めなくなったので「人為的文化,社会的規範の偽善に鋭い批判をあびせ」るんだが。
 一方で、哲学では論理的な仮想話など、できんなっちまった。
 ソクラテスに師事する前に学んできた修辞学の英知を、ディアレクチークでレクチャーできなくなる。
 このジレンマに自分で陥ったのだ。

 「aはaとしかいえない」と「虚偽や反論の可能性をも否定」したことがよく言われる。 半神半人のヘラクレスがアンティステネスの理想だったようだが、人は決して超人にはなれない。
 弁論・演説・説得の技術、弁論術、雄弁術、説得術、これらを無くしたんでは、もはや単細胞だ。
 実際に、彼が修辞学完璧に脱ぎ捨てたというのは怪しい意見であるので、それを今、見ていってるわけだ。

 アンティステネスの師がソクラテスだが。
 もう一人の偉大な師が、その前にいたのである。
 それが修辞学の大先生、ゴルギアスなのである。
 哲学を信奉することで自分の無知を暴いてしまうと、修辞学が厳しい倫理的制約を受ける。

 倫理的制約なので、共有の物事には制限かからないはずなのだが。
 世の人々は修辞学も哲学も知らないので泥沼が起きる。
 だからこれらは、アンティステネス批判者が勝手に作り上げた話なんだろうが。
 修辞学と哲学の交差する、厄介な領域があるのは間違いないのだ。
 キュニコス派は、この厄介な領域を、<その身をもって教えてくれる人たち>なのである。
 ゼノンの論理の誤りとか。

 その領域というのが、特に、「徳」「得」。
 徳は享有に関するもので、得は共有に関するもの。

 哲学は、実は得も徳も積極的には言わないのだが、享有の徳のみ消極的に言う。
 修辞学は、どちらも積極的に言うのである。
 つまりオイラたちが普通に哲学のモノと考えてる「徳」や「得」を含め、多くの思想がもともと哲学のモノではなくて、修辞学のものなのである。
 
 修辞学はローマ時代に変節して哲学に成り代わった、と思ってる人が多いようだが。
 ここらへんに真っ赤なウソが横行しているのである。
 修辞学=レトリックなんて、ウソ八百だよ。

 修辞学は今日でも生きている。
 それはヘラス時代は、自然学に背乗りしていたが。
 哲学に背乗りし、魔術をも取り込み、政治思想や人生論も取り込み、有益な実務理論の体系となって現代にも君臨している。

 オイラもじつは、科学技術の成立で終わった感のある自然学的修辞学と。
 ローマ時代以降の政治学的修辞学を、分けて考えてしまってた。
 どうやら修辞間違い、してたわけだ。

 修辞学は、素朴な暮らし建ての思惟と。
 哲学に背乗りした論理学的(うふぉ)思惟と。
 世渡りのレトリックに、三つに分けるのがいい。

 近代生まれのレトリックに、オイラすっかり騙されていた、というべき。
 修辞学は、やはり哲学や数学より古いし、より広範だ、と考えるべきなのだろう。
 倫理が使う、そこに制限されるカテゴリーではなく。
 広範九躊を駆使する、政治思想なのである。
 共有の暮らしを立てる、最も重要な思想なのだ。

 多くの哲学者たちもこの哲学と修辞学の認識を曖昧にしたまま、泥沼をつくってきた。
 哲学と修辞学の区別は、<享有認識がもとか>、<共有認識がもとか>、で、わかる。
 さらに、カテゴリーが倫理的制約のモノか、それを無視する範疇なのか、で、わかる。
 範疇思想は広範九躊からきており、哲学ではなく修辞学のものなのである。


 <ゴルギアスの修辞学>紀元前483年 - 紀元前376年

 シチリアのギリシア人植民地レオンティノイ、ここに修辞学の大先生がいた。

 この修辞学を、後の時代のレトリックと呼んではいけないのである。
 まったくレトリック要素は皆無。
 彼は一神教徒ではないし、非存在を認識できる、とも言ってないからだ。
 ソクラテス以前なので、哲学ではないのは絶対に間違いない。

 「非存在については、知りえない」。
 これはメー・オンのことか。
  (共有の暮らし立てには)「何も存在しない。
    たとえ何か存在するにしても、それについて知りうることは何もない。
    たとえ何かそれについて知りうることが(享有に)あるにしても、それについての知識を他人と理解し合うことはできない」。

 と彼は述べているそうだ。
 形而上学的信仰はないし、誤謬の問いもない。
 あるのは修辞学的な世渡りの術、素朴な思惟のみなのである。


 ついではムリだった。
 次回は、デオゲネス・ラエルティオス。





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最終更新日  2023年12月28日 11時02分05秒
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