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カテゴリ:哲学研究室
この人は3世紀前半頃に活躍した修辞史家である。
ディーオゲネース・ラーエルティオスが正しいよびかただって。 ホントのとこはわからんのである。 「キリキアのラエルテ」という地名という説もあるほど。 ギリシア哲学者列伝10巻を記した修辞学者。 すでにこの時代には修辞とは言わず、哲学と言ってる。 「200人以上の著者、300冊以上の書物」から収集・引用されたとされ、古代ギリシア・ローマ哲学についての超貴重な資料となっている。 文献学の第一人者だったニーチェによると、<自殺には好意的、暴飲に非常な憎悪、無神論者を非難し霊魂不滅を信じて>書かれているそうだ。 ストア派の傾向を持つ、ということ。 「伝記の中に自作のエピグラムや碑銘文を挿入し」てあるらしいが、それなきゃなんのために書いたの?っつうことになる。 純粋なデータなんてのは逆に、危険な空想だ。 執筆の動機も、ちゃんと本人によって述べられてる。 ギリシア人としての種族的な誇り。 「哲学の営みは異民族(バルバロイ)の間で起こったと主張する人々を反駁すべく、ギリシア哲学の系譜と学説を、詳細に明らかにしようと本書を執筆した」そうだ。 ローマ帝国で修辞学が盛んになって、それに哲学のお株が奪われ、哲学発祥の地はローマだ、なんて言い出した輩が増えた。 それで、ギリシャ哲学が本家ほんもとであることを示したくて、書かれたのである。 しかし修辞学と哲学の区別は、彼の場合すでに明確でないのだ。 どうしても修辞学メインであるので、これが、後世に哲学として伝わったのである。 アリストテレスが明確に区別したのに、その区分は採用されなかった。 アリストテレスは逍遥学派の創始者として出てくるのだが。 ヘラス哲学の伝統を伝えたのは彼デオゲネス・ラエルティオスだが、同時に泥沼も作った、っつうこと。 また、彼が参照したであろうそのアリストテレス全集自体が、ローマの修辞学者の手になるもの。 そのおかげの産物、なのである。 哲学はすでに、修辞学との関係はおろか、自然学や信仰との区別すら曖昧になっていた。 しつこく何度も次行のコレ、述べているが。 もはやポエチカのトピカの些細な一項目の、しかし膨大な領域でしか、なかったのである。 修辞学は、共有の暮らし建てから始まる。 人の暮らしで、最も重要なものだ。 修辞学は政治家センセエの<カネ儲け哲学>なんだが、それだけじゃない。 人の暮らし建て、そのものだ。 しかしホンマの哲学は<享有の無知の知>なのであるが。 そっちは修辞学の些細な一部分とみなされてた。 しかしローマ帝国で、ポエチカのトピック編纂に携わった学者たちの多くは、修辞学のすべての根本問題が、この小さな領域にあって超巨大なことを悟ったはずである。 アリストテレスが言うように、<本質論議が大事>なんだと。 ポエチカのトピカには、それだけ素晴らしい修辞がなされている、ということなのである。 デオゲネス・ラエルティオスが、トピカをどういう扱いをしているのかは、おいら不勉強なもので、知らない。 「全10巻の構成は、以下の通り」らしい。 ネット情報丸写し。 第1巻 - 七賢人など 序章 第1章 タレス 第2章 ソロン 第3章 キロン 第4章 ピッタコス 第5章 ビアス 第6章 クレオブロス 第7章 ペリアンドロス 第8章 アナカルシス 第9章 ミュソン 第10章 エピメニデス 第11章 ペレキュデス 第2巻 - ソクラテス及びその先行者たちと仲間たち 第1章 アナクシマンドロス 第2章 アナクシメネス 第3章 アナクサゴラス 第4章 アルケラオス 第5章 ソクラテス 第6章 クセノポン 第7章 アイスキネス 第8章 アリスティッポス 第9章 パイドン 第10章 エウクレイデス 第11章 スティルポン 第12章 クリトン 第13章 シモン 第14章 グラウコン 第15章 シミアス 第16章 ケベス 第17章 メネデモス 第3巻 - プラトン 第1章 プラトン 第4巻 - アカデメイア派 第1章 スペウシッポス 第2章 クセノクラテス 第3章 ポレモン 第4章 クラテス(アテナイの) 第5章 クラントル 第6章 アルケシラオス 第7章 ビオン 第8章 ラキュデス 第9章 カルネアデス 第10章 クレイトマコス 第5巻 - ペリパトス派(逍遥学派) 第1章 アリストテレス 第2章 テオプラストス 第3章 ストラトン 第4章 リュコン 第5章 デメトリオス 第6章 ヘラクレイデス 第6巻 - キュニコス派 第1章 アンティステネス 第2章 ディオゲネス 第3章 モニモス 第4章 オネシクリトス 第5章 クラテス 第6章 メトロクレス 第7章 ヒッパルキア 第8章 メニッポス 第9章 メネデモス(キュニコス派の) 第7巻 - ストア派 第1章 ゼノン 第2章 アリストン 第3章 ヘリロス 第4章 ディオニュシオス 第5章 クレアンテス 第6章 スパイロス 第7章 クリュシッポス 第8巻 - ピュタゴラス派 第1章 ピュタゴラス 第2章 エンペドクレス 第3章 エピカルモス 第4章 アルキュタス 第5章 アルクマイオン 第6章 ヒッパソス 第7章 ピロラオス 第8章 エウドクソス 第9巻 - エレア派、原子論、その他 第1章 ヘラクレイトス 第2章 クセノパネス 第3章 パルメニデス 第4章 メリッソス 第5章 ゼノン(エレアの) 第6章 レウキッポス 第7章 デモクリトス 第8章 プロタゴラス 第9章 ディオゲネス(アポロニアの) 第10章 アナクサルコス 第11章 ピュロン 第12章 ティモン 第10巻 - エピクロス 第1章 エピクロス 「強引すぎる系譜」や、「ソフィストのプロタゴラスを彼より30歳年下の原子論者デモクリトスに教えを受けたと記述するなど、明らかな誤りも見られる」という。 オイラも類似の、とんでもない誤りしてるんじゃあるまいか。 たとえばオイラは(感性を伴う伝統の)唯物論の信奉者であるんだが。 唯物論は自然学ではなくて哲学なんだと思い込んでいる。 まあこれは、もっとあとで、老人性繰り言をやりたい。 哲学は、ソクラテスが始めた産婆術。 修辞学じゃない。 同じ現実を扱うんだが、共有でやる修辞学とは、まったくの別物なのである。 ソクラテスの弟子からアカデメイア派やキュニコス派が出たのだが。 のちにローマ修辞学の本場で哲学を守ったストア派も、その哲学の学派の一つである。 自分享有の無知の知が哲学なので、実際には<一人一派>なのであるが。 一人一派なのに、派閥になる。 哲学史になる。 これが修辞学と哲学が、重なっているがゆえんのものだ。 キュニコス派からは遠ざかり、ストア派創始者とされている<ゼノン>を、ここで見てみたいのである。 <ゼノン> ゼノンもじつは、プラトンやアリストテレスの著作で諸々の修辞が残ったから今日にのこったのである。 さらにラエルティオスのおかげで、古典となった。 プラトンの対話編で、ゼノンはこう語る。 「そこでわたしのこの書物は、それら存在の多を主張する人たちに対する反論の形をとることになる。そしてかれらにも同じ難点、いや、もっと多くの難点があることを返礼として指摘してやるのです」。 「つまりかれらの考え方の前提となっている、もしも存在が多ならばということは、これにひとが充分な検討を加えるなら、存在を一であるとする前提(仮定)よりも、もっとおかしな事を許容しなければならなくなるだろう、ということを明らかにするのがこの書物のねらいなのです」。 このゼノン特有の、存在の一意は重要な派閥理念である。 これがのちにストア派を多神教から遠ざけていった原因ではあるまいか。 ゼノンは、自然学に関してはパルメニデス派でもある。 ヘン・カイ・パン、と述べる自然学思想。 一にしてすべて。 対するヘラクレイトス派は、パン・タ・ライである。 万物は流れる。 これらはぜんぶソフィストたちが語る「自然学思想」であって、決して哲学ではない。 哲学とは無関係に思える論議なのであるのだが、なぜかよく語られる。 ややこしい関係があるからだ。 そのややこしい関係が、修辞学に哲学を名乗らせ、無知の知を一意の信仰へと誘導したのではないか。 オイラはその疑いを持つ。 このややこしい関係を解きほぐすには、<自然学とは何か>についても騙らねばならない。 だからゼノンを採りあげた。 <自然学>というのは、<露わに、隠れなく見えている、認識されている>ことの諸々に関する学問である。 だから認識されない、見えない空想ものなどは扱わんのである。 認識されないものは存在しないんだから自然学の枠の外。 だから現代の科学技術なんて、ほとんど埒外。 おいらたちが言う自然、というものは、想定はおろか空想も、未だ空想されざる(うふぉ)の全体までも、含んでしまっている。 この全体秩序を導入していくのは自然学者なんだが。 ヘラスの哲学が区分する自然というものは。 <露わな、隠れ無きもの>という人の感性表現に限定されたものを指す。 これはオイラの意見ではなくてハイデガー先生におしえてもらった意見。 おいらはこれが、洋の東西を問わず、名詞ではなく副詞や形容詞、動詞などで表現されてきたんだと思う。 古い日本語でも、しぜん、というのは名詞ではなく副詞にすぎない。 名詞となったんは、ごく最近である。 それも仮説だとか類推だとか、うふぉごとで。 もとのものはそうではなくて、具体的なもので、しぜんに、とか、しぜんと、といった用法をする、人の感性の表現。 動詞のほうは、じねん、という。 名詞などでは、なかった。 ヘラス語ではア・レーテイアという形容詞らしい。 自然学は。 グーグルのコトバンクに出てくる、① ギリシア哲学で自然を対象とする部門、というのはウソだし。 アリストテレスが<数学と並ばせて第二哲学と呼んだ>のは本当だが。 「ストア学派、エピクロス学派では論理学(後者では規準論)、倫理学とともに哲学を構成する」、というのがまたウソである。 ② =しぜんかがく(自然科学)に至っては、なにおかいわんや。 あほらしい。 しかしこれが現代のなさけない現実である。 ストア学派、エピクロス学派ともに、彼らはソクラテスに出会って無知の知を知った。 これを無視してはいけないのだが、無視される。 無知の知が哲学、であって。 ア・レーテイアに関する感性の諸々の学問は、<自然学という別の学問分野>だと、対話しうる全員が悟っていたはずなのであるが。 自然を対象とする部門、などという発想はない。 対象認識の問題が言われ始めた近代のモノ。 そもそも対象ブツという名詞などは当時、ないし(それだと唯物論論理主張になっちまう)、ヘラスのこの時代には、自然をモノとしては捉えてない。 だいいち論理学が、ない。 しぜんというのは、あからさまな、かくれてない、あらわな、といった素朴な意味にすぎない。 論理も、アリストテレス全集にちゃんと出たんは、もうローマ時代。 それもトピックやった。 つまり自然学というのは、露わに見えてる、認識されてる事柄に関する諸学のことだが。 自然という対象モノではなく。 オイラたちが認識して形容し、実践的に扱うその実践の様相の事々に関する、修辞的な学問。 数学は身体に特化するので、こっちはずっと領域が広いわけだ。 現実の暮らし建てにかかわる修辞学と深く関係してくるが。 人の暮らしに特化せず、露わに見えてる様の、物事に関する感性的な学問が自然学なのである。 哲学ということの定義のあいまいさは、修辞学が、もともと絡んでた上に。 この自然学や数学などの原初の意味を、今日の人々が完璧に見失ってることによる。 カテゴリーの意味すら、変わってしまっている。 ずっとしつこく繰り返してるが、<範疇という訳は誤り>。 カテゴリーは人の感性を倫理観で規制するロゴスのカタログにすぎない。 実在感や演繹への導きを司る。 無知の知の哲学者であれば、必ずこのカテゴリ-に注目し、それを偽装したり鋳造したりは、しないはずだ。 倫理的に、できない。 無知の知を見ないものが、メタバシスやってそれをそぎ落としたり自分の環境に合わせて偽造鋳造しようとするのである。 オルガノンというのも、人間向きの、環境狙いの修辞学的要素があるのかも。 さてゼノンは、その自然学に関する<実践論議>に、修辞学知識や<哲学的対話>を持ち込んだ対話人なのである。 偽装したり鋳造したりではなく、プラトンのような文学的対話体育やったのでもなく。 対話に自然学知識を持ち込んで、無知の知へと誘導しようとした。 パラドクスに数学的解はないし、論理破綻に論理解消はない。 しかしゼノンの態度は、数学的理論を、知識を持ち込んだ、と誤解されてたのだ。 そのように相手されてしまった。 論理や原理原則を見出してたんじゃなく、理論にして哲学のディアレクチケーに、その知識がもとの思惟に、解決不能な論議をあらわに持ち出しただけ、なんだが。 ゼノンのパラドックスとして広く知られているものがある。 ここではアリストテレスの論議を利用する。 移動中のものは、目的点へ達するよりも前に、その半分の点に達しなければならないが。 二分法ともいうらしい考え方の導入が導いてしまう、無限への道がある。 矢が矢であっても実は運動してない矢、という問題がでてくるやつ。 目的到達への過程に数学を導入すると、・・・というアキレウスと亀の問題でもある。 これやると、実は運動自体が、その現実が、なくなってしまう。 アキレウスと亀は、パルメニデスからの持ち出しらしい。 <遅い亀ですら、先に出てしまえば最も速いアキレウスに追い着かれない>、この問題。 「なぜなら、追うものは、追い着く以前に、逃げるものが走りはじめた点に着かなければならず」 この理屈に従って二分した地点までで考えると、そうなる。 その後も二分していくと、時間がひたすら微細になっていく一方で、永遠に追いつけない、ということにあいなる。 似たようなことをアインシュタインもやってたな。 ほかに、飛んでいる矢は止まってしまっている、これも実は同じ問題。 アリストテレスに言わせると。 「時間が<今>から成ると仮定することから生ずる」、知識理論図式が見せてしまうパラドックスなのである。 「もし、どんなものもそれ自身と等しいものに対応しているときには常に静止しており、移動するものは今において常にそれ自身と等しいものに対応しているならば、移動する矢は動かない」 どの今においても、飛んでる矢は静止しちまう、というわけだ。 このアリストテレスには、ゼノンの哲学的意図は通じなかった。 逆に、修辞知識論議として解析されてしまった。 「直線運動は連続的ではなく円運動のみが連続的でありうるというここでの論点を人が確信するための適切な議論であると言えよう」。 「それゆえ、時間においてにせよ、長さ〔距離〕においてにせよ、無限なものどもを通過することができるかどうかを質問する人にたいしては、或る意味ではできるが、他の意味ではできないと答えるべきである」。 「すなわち、無限なものどもが完全現実的にあるとすれば、それらを通過することは出来ないが、可能的にあるとすれば、通過することが出来る。というのは、連続的に運動する人は、付帯的な意味で無限なものどもを通過し終えたのであって、無条件的な意味で通過し終えたのではないからである」。 「というのは、半分なものどもが無限にあるということは、線にとっては、付帯的なことに過ぎず、その実体すなわちそのあり方は、それとは異なっているからである」 このアリストテレスセンセエはほんま、賢すぎ。 ともあれオイラが言いたいことは。 ゼノンは、哲学的対話として数学的自然学知識を持ち出したということ。 アリストテレスには修辞知識として見事に解析されちまったが、その本質部分は把握されてたということ。 コトは、今だとか、図式だとか、露わな人の感性に関する<時空問題>であって、数学でも対象認識の科学問題でも、ないのである。 論理的にコレを考えようなんてのが、最も、あほらしい虚無主義。 まだ修辞問題にされタリ、ゲーム的に思考実験されるほうがずっとマシだと思う。 <ストア派>は。 「ゼノンが、アテナイのアゴラ北面の彩色柱廊で」哲学を教えていた、そのことに由来するのだという。 哲学と修辞学、自然学との関係などを、当時最も重視していた連中である。 自然と一致する、意志(プロハイレーシス)を維持すること。 この自然というのはア・レーテイアであって、別名をフュシスともいう。 露わに見えることである。 ネイチャーやナチュラルとは、当時はまったくの無関係だった。 それがどこで、知者優先の修辞知識優先に化けていったのか、不思議に思う。 宗教も多神教だったのが、一神教に化けた。 ルキウス・アンナエウス・セネカや、エピクテトスのような後期ストア派に至っては、すでに<徳は幸福により十全となる>といった信念を持ってたようだ。 彼らは、不幸に動じない、と主張した<英知者>なのである。 つまり、もはやまったく哲学者フィロソフォスではなくなっているのである。 しかし不可解ながら、ストア派の伝統が未だに受け継がれていた。 というか、一時期には、ほぼ唯一の、哲学という伝統を西洋世界に伝えていた連中なのである。 初期の人々は、倫理的拘束の意味も、道徳的教育理解の重要性も理解していた。 決して超人的な、ストイックではなかったのである。 それゆえに感情からの解放(理性主義 を説き アスケーシス」、禁欲主義を参照)を伴う「生き方」の実践を求め。 「アディアポラ」の理論はキュニコス学派および懐疑主義とも共通であったという。 自殺は人間の自由の最高の表現である、とするようなとこまで考えてしまうへんな傾向もあった。 この、哲学の伝統の継承 哲学の意味の修辞学化、は、<ねじれた関係>を示している。 次節で、そこらへんから注視していきたい。 **自分用コピー利用勝手。落第してもしらん。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年12月30日 17時25分16秒
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