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カテゴリ:哲学研究室
<グスタフ・テオドール・フェヒナー>1801- 1887
ポーランド生まれのドイツ語圏の人らしい。 牧師の子なのに<無神論者>だという、いかがわしい人物。 日本人なら神なんて気にせん人が多数派なので問題ないが、西洋では宗教に属さない人極稀なので、いかがわしくなる。 ドレスデンで医学を学び、1818年からライプツィヒ大学で、1834年に物理学の教授。 実験心理学、生理心理学の先駆者、精神物理学の創始者だという。 精神的感覚と物質的感覚との関係について研究。 精神世界と物理世界の間には<量的関係が存在する>ということを主張。 エルンスト・ヴェーバーの研究を継承発展させたというのがメイン業績らしい。 刺激に対応する感覚を、ヴェーバー&フェヒナーの<法則として「定式化」>したそうで。 これで、精神物理学という学問を創始した、とされる。 つまり自然学者なんである。 太陽を見た後の残像研究のために失明状態になりかけたという、自分をも平気で実験台に据える、やっぱりへんな人物。 精神と物質はひとつ、という(アリストテレス風の)思想がもとらしいが。 アリストテレス風というより、一意神がかり風。 まあ、認識というのは普通は一意なんで。 ただ、刺激に対する反応などは享有のもの。 つまり個体の反応。 享有はともかく、それを定式化となると共有認識反応。 この垣根をどうやって乗り越えたのか。 その、一つの宇宙を意識的存在と見ることを「昼の見方」とし。 無生物として見ることを「夜の見方」と呼んだそうだ。 この人はデジタル二進法的に、しかも一意に、というより一元論風に考えるのだ。 享有共有ごったまぜ思惟、の持ち主なわけ。 夜の見方の、眠りに落ちた人々を昼の見方に目覚めさせること。 つまり共有へ導くことのみを目指したそうで。 ポシティヴしか志向しない、へんな人だと、これでわかる。 主著が有名なのだ。 「フェヒナー博士の死後の世界は実在します」。 これは現代に至るも、途切れのないベストセラー本になってるらしい。 人気となって死後も実在しとる? オイラのハッチ本なんか、売れんので稀覯本になって埃に埋もれた。 それにしても死後の修辞世界など、あるんかね? 「死は生命の一つの過程であり、死は形を変えた誕生、すなわち物質界への誕生ではなく霊界への誕生だ」と、説いてるそうである。 どこが無神教やねん。 死んでも幽霊みたいに残って消えんポシティヴ死後教の教祖様やってるやないけ。 うふぉ宗教あってメシアもおるけど、神がおらんだけの話。 <エルンスト・ヴェーバー>1795年 - 1878 はフェヒナーの先生である。 ドイツの生理学、解剖学者だ。 「刺激強度と感覚の増分の関係を発見した」そうだ。 いわば、物理学分野と心理学分野の<合体>を図った。 もともとおなじもんなんや、と思うけど?。 享有をを共有論議に載せる上での合体? ちがうやろ? 享有を実務操作したい、生体解剖して死後もメシアが再現したいっつう論議じゃろ? コイ類の、うきぶくろと内耳の間にある骨片、ウェーバー器官はよく引き合いにだされる。 生理学研究では、聴力障害の検査であるウェーバー検査を記述し。 「触覚と一般感覚」などの著作で、ヴェーバーは実験心理学や精神物理学の先駆者となったという。 同名のエルンスト・ヴェーバーには美学・教育学の大物もいるようなので、注意が必要。 <ヴィルヘルム・マクシミリアン・ヴント>1832 - 1920年 ドイツ人生理学、心理学者。 ハイデルベルク大学医学部出。 ヘルムホルツの助手を務め。 私講師として「自然科学から見た心理学」、「生理学的心理学」講義。 1873年「生理学的心理学綱要」、スイスのチューリッヒ大学の哲学の正教授。 1875年ライプツィヒ大学。 1879年、新しい学問分野としての心理学を成立させたという大物。 1881年には「哲学研究」という冊子を発刊、後に「理学研究」と改称。 軌道に乗ったんで、ここで心理学が哲学を乗っ取っり、哲学は廃止したんや、ということらしい。 「ヴントは、心理学は経験科学であるとし、形而上学を攻撃した」という。 哲学は、形而上学と修辞学だ、としか、みとらんわけだ。 形而上学は確かに、攻撃されて当然の、もはや死に体。 一神教徒の先験的誤謬を持つ信仰にすぎん、からだ。 しかしそれが哲学の歴史を支えてきた、その哲学史も否定するのかね? 心理学と物理科学は、扱う経験は同じもんだが、眺める見地が違うので差が生じるんだと言ってるらしい。 その見地が、自己観察による<内観方法>、というもの。 自己を主観的に見るのか、客観的に見るのかも、ようわからんが。 自己観察による内観方法。 哲学的佇みやコペルニク的転回とは、観察のモーメントが逆。 科学的に見るのである。 精神と肉体は別物なんや、とみなしたことで可能となった対象認識。 ヴントは<精神と物理の並行説>をとった。 つまり、アリストテレス先生の修辞的心理学などとは、根本からの別物となったのだ。 カント先生の、先験的心理学のようなものでもない、のである。 これで、<科学的な心の理の研究ができる>としたんやろけど。 まあ単純に考えるなら。 自己が共有する思惟だけを、選り出して客観化して見ようとしてるわけだ。 自然物理的なモノと同列の、思惟的なオブジェクトモノが。 肉体オブジェクトと<並行してあるんや>と考え。 肉体と並行の、それらオブジェクトへの学問的対象物でありうる、と客観<措定>したわけだ。 何を基準に据えたのか? 定式化されたモノがあるのか? 心身合一ならわかるが、べつもんやろ? うふぉの学問対象オブジェクトを、ここに想定したわけである。 が、心理という学問対象のモノ自体を、<想定>している、ともいえる。 ウーシアという<アジェンダ課題>や、現実という<修辞課題>や、身体と言う<結果課題>などではなく。 その心理というモノ自体を。 無知だとか図式形式だとか認識できん、とするんでもなく。 科学的に(合目的対象化認識の)対象となるもんや、とする?。 <分類化対象認識できる>と。 手短に言うと、どっかから目的や客観ブツをもってきて心理を据えて、ここに科学を考えたわけだ。 それを、うふぉだとは思ってない単純アホかもしれんようにも見える、が。 目的の持ってきた客観もとはわからんが、その標的先については、ちゃんと述べている。 未来は見るが過去は見ん。 「心理学の目標は、心を簡単に分析して、それらの「質」から成り立っている各種の「形式」を決定することである」と述べてるらしい。 なので単純なアホではないとは思うが。 「内観方による意識観察・分析を通じて、要素と構成法則を明らかにしたい」。 という、へんなもの。 アルケーの、過去のモトを一切気にせん、へんなもの。 もう一度、何の目的で?アルケーは? 享有考えへんから、そないなもん要らん? 人は個人個人で生きてんだよ。 「様々な感覚は、心理要素の働きが統覚に統合されたもの」、と考える。 ここに統覚という先導者が、モトが住んで居るのだ。 が、統覚に統合される前は、わからんし、気にせんのかにゃー。 哲学を導く、感性的な演繹可能なもののように。 心の形式を・・・・する目的で? そっちばかりを気にする。 やはりポシティブ化された結果ばかり、そればかりを気にするのだ。 「意識は心理的要素の結合によって構成される」とした、いわゆる構成主義。 なので。 やはり、心の再現構成をやりたい「目的」に先導されてる、っつうことになる。 つまり実務優先である。 他人の心を操りたいだけなんや、ということだろう。 催眠術は実践にあたる、その原理のほうが知りたいんか、にゃー。 「また、ヴントはハイマン・シュタインタールやモーリツ・ラーツァルスと共に「民族心理学」を創始したとも評価されている」、という。 民族の、共有の心をも操りたかったわけだ。 操ってナニしたい? それが問題。 メトロノームを使った実験やって、<感情の三次元説>を展開した。 意識的感情は、快と不快、弛緩と緊張、鎮静と興奮に沿って変化すると。 これで三次元というわけか、にゃー? 数学的次元は縦横の二次元延長に、高さという、いわば身体要素の幾何学的想定要素加えた三次元だが。 快不快は、感覚の主観部分。 弛緩と緊張は肉体の神経の様態、鎮静と興奮は、同じそれを客観的に評価しようとしたものだが? どこが次元やねん? まあ、オイラ心理学やりたいわけじゃないんで、アホらしくなったんで次行こ。 同時代に、もっと、とんでもない人物がいる。 こっちがもっと大物かもしれん。 もちろん哲学とは無関係やが、修辞社会ではとんでもない影響受けた。 <フランシス・ゴールトン> 1822 - 1911年 英国人の差別主義者で、各方面の先駆者、偉人。 探検家、天気図の創始者、気象学者としても広く知られる。 いとこのダーウィン進化論の影響を受け、遺伝への興味から人間能力の研究をやり、心理学へも手を伸ばした。 名声を得る家族は、もともと才能があるんやと、優生学 (eugenics)的相関研究。 「遺伝的天才その法則およびその帰結」といった数多い著作がある。 神父が結婚できないカトリックの制度では、優れた子孫残せないとして、当然反対する。 優生学 (eugenics)的相関研究の諸々を、特に忘れてはならん人物。 彼ゴールトンは科学各分野に数学的方法を導入し有用に徹した、超危険な重要人物なのだ。 統計学などの数学発展にも力を貸したようだ。 あんた下層階級?どうせアホやから、といった、ガチの貴族主義勝ち組思想。 大衆革命の中でギロチンの露と消えるべき人。 「人間の才能とその発達の研究」は心理的現象を扱うし、優生学という用語はこの著作から生まれた、という意見がある。 オイラ、優生学は超嫌いなのでギロチンにかける。 彼らは自然の摂理などという、ヤワな面を持たぬモノ優先の勝ち組。 心理学は、こういった人を基礎に持った。 ここで優生学 (eugenics)的相関研究、統計的研究法を、学問の基礎部分に学んで土台にしてしまうわけだ。 科学技術は、合目的対象化認識技術である。 基礎部分に曖昧な形而上学と一意信仰を持つ。 哲学とはまったく相いれない、目的優先の<実務学>である。 ここで哲学と交差するが、それは修辞学に属する、ということでもある。 そのアリストテレス的な部分を排除して、今日の心理学はある。 その目的が表に出て、進歩のなかった哲学の世界にとって代わる時代。 心理学は修辞学にかわって、優生学という、アジェンダを仕込まれた。 この人たちは、もはや知を愛しているのではなく。 英知を実務に利用したい、奴隷にしたいだけの英知主義者、つまりソフィストなんである。 修辞学的態度すら、自分で持ってて馬鹿にする(レトリックを言う)し、倫理観などに至っては一切持ち合わせがない。 だから倫理が出てくれば、それも共有のものと考えてしまう、へんな人たち。 そもそも道徳観が、おいらたち庶民とは、ぜんぜん違うのだ。 他人を支配して生殺していくことしか考えてない。 そういった人たちの手で、心理学は<優勢学をその学問の目的に採り込んでしまった>。 そのため、彼らの手による学問は、アリストテレス以降の修辞的基礎(暮らしを建てていく)とは異なる、ポシティブ一辺倒の、超危険なモノとなっていくのだ。 ネガチブは悪、という考え方。 どうやらこれは優生学と関係があるのかも。 そもそも新しい心理学は、こういった「民族学」、「優生学」などといった<共有目的の導入>で、可能となったのである。 彼らが、とんでもない差別主義者であったことは間違いない。 しかし反ユダヤ主義、だったのだろうか? それは怪しい意見だ。 <ジェームズ・マックイーン・キャッテル> (1860-1944年) は、ゴールトンの弟子らしい。 「ヴィルヘルム・ヴントとフランシス・ゴルトンの研究手法をアメリカに持ち帰り、アメリカでの精神検査の取り組みを確立した」、といわれる。 そもそもメンタルテストなるものを考案導入したのは、彼のようだ。 要するに試験、テストの導入。 これは、心理学の貴族主義世界で生まれたものやったんかも? まあ試験も偏差値もヒエラルキー立てる目的のためにあるんだし。 科学としての心理学を合言葉に、新入生を対象としてテストは強制的に行われた。 「キャッテルは、このメンタルテストにより知能が測定できていると信じていた」が。 キャッテルの教え子のクラーク・ワイスラーが1901年に、「キャッテルのテストの得点と学業成績の間に統計的な関係がないことを証明した」、そうだ。 「このテストは最終的に、アルフレッド・ビネーの知能検査の開発に影響を与えなかった」、ともいう。 しかしテストや試験の理念は残ったのである。 つまり試験やテストは、知能や学業成績とは、また別の統計規範のものとされた。 学習の認知度やその人の習熟程度を図るもんだとされているが、怪しい限りだということ。 中学生以降、試験にコケ続けて来たオイラ、特に気になる。 まあ、試験反対派の意見だろうが。 次節でアルフレッド・ビネー見てからウィリアム・ジェームズを予定。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年01月27日 10時23分45秒
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