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テーマ:お勧めの本(7401)
カテゴリ:書評2nd.シーズン
見出し:1500万部の大ベストセラーは、究極の「M本」。
ケン・フォレット著、矢野浩三郎訳『大聖堂(上・中・下)』(ソフトバンク文庫) 全世界で1500万部突破の大ベストセラー。20年前の本とは思えないほど、古めかしいタイトルとテーマではあるが、確かにオビの通り、文句なしに面白い。 時は12世紀イングランド。権力者、教会、領主、棟梁。王族と聖職者、統治者と被治者。それぞれの関係は、“大聖堂”を中心に権謀術数の渦を巻き、人は己の生命(つまり信念)を守るため、人生という名の熾烈な克己の戦いに身を投じていく…。 この作品。売り文句の一つとなっている豊富な建築用語の頻出は、著者があとがきに記すように、大聖堂の魅力に取り憑かれ、一から勉強して書き上げた成果がふんだんに盛り込まれているが、百科全書的な嫌みはなく、むしろそれらは、あくまで物語に臨場感を与える小道具のような扱いでの登場である。 さて、これだけ壮大な物語であるのに、登場人物は意外に少ない。脇役は多いが、主役級は絞られている。キャラクター崇拝主義者がよくやるように、出てくる人物みなに個性や役割を与えるような騒々しさや、胃もたれするほどのキャラ立ち群像劇にしない頑さに、長編を読ませる上での著者の工夫を見る。この絞られた主役級登場人物たちの思いは当然、何らかの形で渦の中心たる“大聖堂”へと集約していく。 職人魂、信仰心、自尊心。それぞれ形は違うが、主人公たちは、どんな困難に遭遇しても、どこまで挑戦できるか、を読者に示し続けてくれる。その長い道のりに降りかかる陰惨な障碍の数々を思うほどに、これはある意味、究極の「M本」とも言えるかも知れない。 同時にこの作品は、いわばいくつかの“一家の肖像”、“世代をまたいだ家族に受け継がれる情熱や怨恨”の物語でもある。「家族」が無視できないテーマとして太い梁を支えているのだ。 主要な人物の視点での物語が小気味良く切り替わっていくテンポは絶妙で、「この人物の次の話が読みたい」というところで冷酷にもばさりと話を切って場面を変えるあたり、実に巧みである。このおかげで、読む方にもスピード感が出てくる。だから、それぞれの人生を追いかけさせることに飽きさせない。 ただし、純文学的なテーマを思わせながら、そうした格調は感じられない。いうなれば、シドニィ・シェルダン的なのだ。エンタテインメント小説であることを忘れてはいけない。また、家族の物語であるがゆえに、時代背景の野暮ったさも加わって、よくも悪くも、全体的に所帯染みている。しかしまぁ、それが人生であり家族というものだろう。幸い翻訳が良いので、救われている。 物語のラストでは、“強き被害者たち”それぞれの傷つけられた過去は清算されるが、聖堂を壊した張本人の過去だけが追及されないというのは何とも不公平な感じを覚えるが、そこに拘るのは野暮なのだろう。 より大きく。より高く。それが神を讃えるためであれ、権力を誇示するためであれ、富をひけらかすためであれ、バベルの塔に神が下した鉄槌は人類に何の教訓も残さなかった。いや、むしろ人類の巨大なるものへの欲望が、教訓を凌駕したというべきかも知れない。なお2009年には、続編という形(ただし、テーマが続いているのであって、物語そのものには連続性はないようである)で『大聖堂―果てしなき世界』が、上・中・下巻で文庫化されている。(了) 大聖堂(上) 大聖堂(中) 大聖堂(下) ■帯津良一・帯津三敬病院名誉院長推薦、出版記念講演・青木新門『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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