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テーマ:お勧めの本(7402)
カテゴリ:書評2nd.シーズン
見出し:いいえ。フリーメイソンは、あなたの傍にいます。
ダン・ブラウン著、越前敏弥訳『ロスト・シンボル』(上・下)(角川書店) 世界中で読まれ愛される大ベストセラー、ロバート・ラングドンシリーズの最新作である。前作『ダ・ヴィンチ・コード』の品切れ続出の教訓か、最新作は予約分も含めて、書店流通分も比較的余裕があったように思われるが、そこが“ヒット”前後の違いなのかも知れない。 さて、今回の舞台はアメリカはワシントンD.C.。ヨーロッパ人よりもヨーロッパを知る(まさに、新作中における“ラングドンの学生”だ)日本人にも楽しめた過去二作と違い、『ロスト・シンボル』は、アメリカ人こそがいちばん楽しめる、いささかパトリオティックな作品となっている。世界を股にかける人気作家のダン・ブラウンも、やはり愛国心から逃れられなかったか。しかも、このタイミングで…。 そしてやはり、パトリオティックなテーマを持つからか、過去二作に較べて、メッセージ性が強く、ギミックでない重さ―それを深遠と呼ぶのは早計にしても―を感じる。 象徴学者、アメリカ、ワシントンD.C.と来れば、当然モチーフとなるのはフリーメイソン。数多の陰謀説や伝説に彩られ、注目される程その正体を闇に包んできた秘密結社。あまりに多くテーマや話題、論点にされてきたフリーメイソンだけに、あえてこの手垢にまみれた団体をモチーフに選ぶあたり、作家の自信と意気込みが感じられる。といって、それこそ読者の多くがおそらくフリーメイソン通なのだから、よほどの切り口でないと驚きもしない。 そこで作家がとった手法とは、フリーメイソンをオカルティズムから引き離し、社会的に名声も地位もある、開かれたエリート集団としてオープンに設定し、これを目くらましにしておきながら、その暗部に仕掛けを施して行くやり方だ。このあまりに大胆かつ、安直なテクニックを良しとするか否かは読み手が決めるだろう。 そしてさらに今作では、時空を超えたメッセージ、謎解きの面白さもさることながら、地上に顔を出す表面部分はよく目にし、あるいは知る合衆国議会議事堂ほか有名にして国家の政をはかる建造物の内部を、迷路を往くがごとくに主人公らとともに走り回る、いわば“閉じた広域”を見学的に味わう楽しみがある。無論、教授にとって“閉じた”は禁物であるが。映画化された暁には、ニコラス・ケイジ主演『ナショナル・トレジャー』との比較も面白いが、御本家がこの首都を舞台にした以上、『ナショナル・トレジャー』はハシゴを外された形になって、少々気の毒でもある。 映画と言えば、はじめてダン・ブラウンの作品が映画化されたのが『ダ・ヴィンチ・コード』であり、同じラングドン・シリーズ『天使と悪魔』は、原作は第一作でありながら映画化されたのは、シリーズ第2弾の原作『ダ・ヴィンチ・コード』およびその映画『ダ・ヴィンチ・コード』のヒットを受けて、前後した形で実現したわけだが、この『ロスト・シンボル』は、いうなれば初めて、「作家が、トム・ハンクスがロバート・ラングドンを演じる」ということを知っていて書き上げた作品という点が重要だ。 というのも作中、ラングドン教授の人物描写について、過去二作ではあまり感じられなかった“トム・ハンクス臭”がやけに目立つからだ(あの“目をくるりとさせる仕草”の多用よ!!)。明らかに、文字の上のラングドンは、トム・ハンクスにトランスフォームしている。想像力を侵されたのは残念だ。そう、読者もまた、トム・ハンクスを思い浮かべることから回避できなくなっている。 肝心の悪役はどうだろう。上記のような状態で、作中、文章による描写だけでキャラクターが立っていたのが、まさにこの“悪役”(とCIA保安局局長サトウ)であろうか。といって、これまた映画化されれば、誰が演じ、どのようにその威容を見せつけてくれるか…などと創造してしまったりする。 これまでもネタバレには気をつけながら記述しているが、さらに続ける。読後、いくつか複雑な思いに駆られる。 一つは、「またも父親殺し」か、という呆れた思い。いつまでオイディプスの亡霊から、人は、想像力は逃れられないのだろう。ダース・ベイダーをチラつかせ、確信犯的に「父親殺し」でゴリ押しする古典的な手法には、あまり新鮮さを感じなかった。何か、特に20-21世紀のアメリカニズムの限界を感じてしまう(本作の主題がパトリオティックであることも無関係でないだろう)。 あるいは、いくらフリーメイソンを持ってきたところで、私怨から国家を揺るがすというオチには、互いの落差の大きさを感じる。確かに、すべての悪意の原点に立ち返れば、それは政治的であるよりは個人的であるというのが、真理かも知れない。しかし、フィクションなのだからこそ、もう少し飛躍が欲しかった。 そして、そうしたシーケンスの弱さを埋め合わせするように持ち出してきたのが、臨死体験や、お得意の虚々実々の最先端科学であるというのは拍子抜けする。何より重たいのは、それらを、あろうことかお楽しみであるべき謎解きの大部分に持ち込むことで、物語のクライマックスを、抹香臭い長広舌にしてしまっている点、なにか読者を無視したような展開に疲れてしまう。どこか、ラングドンを通じて、ダン・ブラウン自身の思想を聞かされるようであまり好きになれない。 このように、過去二作と比べて、簡潔にただ「面白い」と言える作品ではないが、少なくとも、作中ではiPhoneやブラックベリーが大活躍するにも関わらず、表紙を開いたその瞬間から、私自身はiPhoneを使うのを忘れていたのは確かだ。当代随一のページターナーぶりには流石と言わざるを得ない。そして、ロバート・ラングドンという「「ハリス・ツイードのハリソン・フォード」と描かれた希有で個性的なヒーローが現れ、それをトム・ハンクスが演じたことで、実は当のハリソン・フォード演じたインディ・ジョーンズは、UFOとともに去って(?)ヒーローの座を明け渡したような気がする。ラングドンの映像化と、インディ・ジョーンズの退場が、ほぼ同時期に重なったことは、あながち偶然でないだろう。(了) ロスト・シンボル(上) ロスト・シンボル(下) 『ロスト・シンボル』の謎フリーメーソンの正体 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010/03/26 09:54:24 PM
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