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カテゴリ:母
大正7年、全国に米騒動が起きた。
母の村は、山国の小さな田舎だったにもかかわらず、 大きな地主さんが かたまって住んでいた村で、 西本願寺の米倉と言われたところだったから、 打ち壊しの一団が、おしよせていた。 あそこの家が壊されている、今度はどこそこだ、という噂がとびかっていた。 母の家も小作人の人々を抱えていたから、米倉があった。 家には、母の父亡き後、ずっと手伝い、 采配をふるっていた叔母がいて、 その叔母は、昔から気っ風のいい、眉のきりりとした美人の、 腹のすわった、度胸のある、男勝りの女性だった。 ここで叔母は、大きな酒樽をいくつか用意させて待機した。 「今、○○家がやられている、次はここです!!」と 伝令が金きり声で叫んだ。 叔母は、扉を全部開いて、広い土間の真ん中に すっくと立って待ったそうだ。 どどどどどっと、暴徒が押し寄せて来たとき、叔母は大声で、 「皆さんご苦労様です!さあ!どんどん飲んでやってください!!」と 叫んで、次々に酒を酒樽からついで、 じゃんじゃん飲ませたのだそうだ。 その女性の機転で、打ち壊しを免れた。 その女性のひとり息子さんを、 私の母は、戦後、亡くなるまで、お世話していた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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