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カテゴリ:中学生時代
子供の頃は挿絵画家が大好きだった。
今では、イラストレーターって言うのかな? 中原淳一という人がいた。 1954年頃、私達、13才以上の女の子は、みんなあこがれた。 「ひまわり」または、「それいゆ」という女性向けの雑誌の挿絵 並びに、編集者でもあった。 そのうち「ジュニアそれいゆ」という雑誌も出て、 うれしがって、そのファッションをまねしたり、作ったり、 淳一好みの絵を懸命に真似して描いたものだ。 あの頃の中原淳一さんのセンスで 当時の日本の女の子はみんな、みんな育ったような気がする。 内藤ルネという挿絵画家もいて、 彼の描くかわいい女の子の絵が、何にでも印刷されて、 今の、キティーちゃんのように流行っていた。 千秋みのる (ちあき みのる)がいた。 私が中学生の頃、最も影響を受けた素敵な挿絵画家のひとりだ。 ほんとうに、ほんとうにうっとりした。 彼の描く女性の絵をまねして描いた。 私の絵が欲しくて友人が、予約して、待っていた。 なぜか分からないが、 16才くらいで、そういった物を全部卒業してしまった。 ずっと今日まで忘れていたが、ここに記します。 小学生のころは、 少女雑誌というものがあった。 「少女」「少女クラブ」「少女の友」等の他に 少年雑誌というものもあった。 「少年」「少年クラブ」「少年画報」「おもしろブック」等々だ。 挿絵画家には、小松崎茂がいて、主に少年雑誌の挿絵を描いた 外人を外人らしく描けるめずらしい才能を持っている画家だった。 人物の絵と地球の未来の想像図があか抜けて、すてきだった。 私の一番好きだった山川惣治という挿絵画家は 「少年王者」とか、「「荒野の少年」とかの、物語を連載し、挿絵も描いた。 読んだ子供は、その、ジャングルで勇敢な日本少年が、ターザンのような 活躍をする物語に心躍らせ、また、少年カーボーイの冒険のお話に、 わくわく心を躍らせ、勇気がりんりん出たものだ。 あまりにも人気があったので、 後に日本のテレビ放映が始まってからドラマ化されたが、 私は一度も観たことがない。もう、大人の世界にいたのだろう。 涙 少女雑誌の中では、勝山ひろしという画家が大大大大すきだった。 まだ、モノクロの挿絵の頃だ。彼の描く少女の絵が、あまりにも有名になって、 ついに極彩色のグラビアの絵になってから、けばけばし過ぎる気がして、 私は、好きではなくなって、小学生時代を終えた。 最近になって、 あの、大天才 中原淳一が、ゲイだったという話しを聞いた。 息子さんが、本に書いているらしい。 宝塚スターを妻にして、子供まで生まれ幸せの家庭を持っていた、敬愛する 中原淳一が! ゲイだなんて… びっくりしたけど、さもあらん。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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