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カテゴリ:中学生時代
1955年にジェームス・ディーン の
<エデンの東> が日本で封切りされた時。 姉とその友人にさそわれて映画を観にいった。姉たちが、 「もう、ジミーは死んだのよ」と衝撃的なことを言ったので、大ショック!! 最近は、度々テレビで再放送されているけど、 たくさんカットされてるからちょっとがっかりしたりする。 一番大切な、場面が来て、「さあ、今から泣くのよ」と ハンカチを持って待っていると、 肝腎のシーンが無くて???である。 たとえば、あの、心底、ジミーの愛を理解しない石頭の父親が、 死にそうになった時、最後にやっと、 「ここにいてくれ」とジミーに小声で頼むシーン。 毎回大泣きする最も大切な場面だ。 それがブチッ!と無かったりしてねぇ~。 シクシク 彼の穿いていたジーパンは、だんだん日本でも流行して行ったが、 1959年ころは、 東京でも、おしゃれな若者が中心で、 それほど一般には浸透していなかった。 私達、渋谷のGパン仲間では、ブランドはBIGJOHNが、一番だった。 (色んな説があるが、) 私達がこの街で、いちばんトッポイわよ!と 肩で風を切って歩いた。 その頃は、シルエットとしては、ストレートがNo1で、それは、 腰から太ももまでは、ピッチピチのパッチパチで、 下に向かってストンと、真っ直ぐ落ちるシルエットだ。それがかっこよかった。 だから ジェームス・ディーンは、 終わっていた。 何故って、彼の穿くGパンは、ちょっとだぶついていたから、 <あああ~~悲しい~~彼って!ダサイじゃん~~> っていう感覚で、見えてきてしまったのだ。 でも、それから45年間の歴史で ダンガリー ベルボトム めちゃくちゃ細身のへそ出し ぶかぶかの胸当てズボン風 梵天風 などのジーンズスタイルがめまぐるしく変化して、ついに 最近では、何でもありで、何を履こうが何でもいい自由な感覚になった。 すると、 何だか ジェームス・ディーンの写真が、また、きらきら光って見えだした。 ああ!あの、あこがれの悲劇のジェームス・ディーン!! 大好きです! Gパンを履かなくなって久しい。 Gパンが、いつの間にかジーンズという呼称に変わった事に私が、 ようやく気が付いたのは、1959年から30年も経ったある日だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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