母の晩年、母は、あたらしいマンションに引っ越すことになった。
ちょうど、姉の看病に疲れて、母も、入院中だったので、
私は、たった一人で、一ヶ月間で母の家の引っ越しをした。
あまりにも大変だったので、
最後には脳みそが動かなくなった。思えば
新品のやたら上質の塗りのお椀も、高価で新品の印傅のバッグも
無感動で、ぽんぽん捨てたし、一度、手伝いに来てくれた嫁が
「あっ!私がプレゼントしたばっかりのコーヒーメーカーを!」
と言って、拾い上げても、知っちゃあいねえよ~!
という具合だった。
疲れはてて、正常には判断できなくなっていたのだ。
母のアルバムの入った大きな茶箱5箱を全部捨てた2日後の夜。
病院で、母がぽつんと、
「夏子が死んだら、あの写真を使ってね」と言った。
私は、明るく「うん」と、即答したものの、
内心、どきりとしていた。
あの写真というのは、
夏子姉さんが、まだ、元気だったころ、何を思ったか、
友人と、
「私が死んだ時に使う写真を撮るのよ~~」
と言って
はるばる飛行機に乗って、えらく遠い有名な写真館に写真を
撮ってもらいに行ったことがあった。その直後
夏子は、車の事故で、植物になった。
それで、母はその時の写真のことを、私に、頼んだのだ。
母の大切なものを全部捨てた私は、この写真すらも捨てたとは、
母に言えなかった。夜中に友人に電話で打ち明けると、
一緒に探しにゴミ集積所に行ってあげると言ってくれた。
どんなに時間がかかっても、探しだすぞと決心していた。
懐中電灯を持って、ものすごい量のゴミ集積場に行った私達。
すさまじいゴミのどこにそれはあるのか?夢中で探した。
あった!!!
信じられない話しだが、それは、短時間で見つかった!
何故か、写真のところに、体も目も手も行ったのだ。
こういうのを奇跡というのかな?
母をこれ以上悲しませたくないという一心が、
奇跡を生んだのではないかと思う。
あの写真は、今も、姉と共に、眠っている。