母は、晩年は、姉の看病に捧げ切っていたが、すでに、
母自身の体も弱ってきていたので、
母を引き取って一緒に暮らしたいと、私は考えていた。
何度か、一緒に暮らす練習をしてもらったことがある。
病気入院中の母の退院の日を待って迎に行き、
車で、我が家に連れて帰った。
楽しく過ごしていたが、ある日、母が風邪をひいてしまった。
風邪をひくとすぐ肺炎になる母なので、
急いで夜間で診てもらい、即入院。
その夜は部屋が無いので、ICUの部屋に入れられた。
朝、会いに行くと、熱の中
「ここの看護婦さんは、皆、ドイツ語で話すのよ~、つらいわ、
早く、部屋を変えてもらってね」と訴える。
初めての地方の言葉にとまどったのかな?と思ったが、ちょっと違う。
毎日毎日、「帰りたい」と、訴える。良く良く聞いていると、
帰りたい場所は、生まれ故郷のことだと分かった。
大変だ==!母が呆けてる==!私はあせった。
すぐにかかりつけの病院に帰らなくちゃ、このままだと母はダメになる。
「今は、退院させられません!何があっても責任取りませんよ!!」
という、医師の言葉を背に、
母を、車に寝かせて、夫とともに、走って走って走って走って
5時間を走り抜いて、母の行きつけの病院に送り込んだ。
後日、母が、笑いながら話してくれたことは、
あの日、夜中に目が覚めたので、ここは、どこだろう?
と、思って、見回わしてみて、ベッドを下り、廊下を歩いた。
「あ===!ここは、私のいつもの病院じゃないか==!!!」
と、
忽然として正気にもどったそうだ。
そして、母は、すっかり健康を取り戻した。
それ以後、私は、母と暮らすのを断念した。