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カテゴリ:大学時代
大学時代のこと。18才19才のころだ。
私は、大学の授業をよくさぼり、友人の画家のアトリエに入り浸って、 油絵の手ほどきをしてもらっていた。 姉は、デザインスクールにも通っていたことから、 いつもの二人のおしゃべりの内容は ひとつは、、 姉は、作品を創るにあたって、 いかにクライアントの気に入るものを 創れるかで方向が決まるし 私の作品は、クライアントについては、全く考えに無く、 いかに、自分の芸術性を高めたタブローを創作するか。 という、 全く両極の位置にある自分達の創作活動であるな、ということ。 もうひとつは、 我々は、作品の出来不出来はともかく、 何かを創作しても、これについての考察を、 言葉でも、いかに人々に伝えられるか、 芸術並びに、その周辺の事柄について、 人々の質問に答えられる言葉と、資質を持っているか ということだった。それは、皆無だったので、2人は 嘆くのだった。 飽くなき勉強さえして、内容と実力を備えてしまえば 言葉や、話すという資質が全く無くても、 自由無碍に芸術活動はできるということには、気が付かなかった。 いまさらだが。 それにしても、純粋芸術は、クライアントを意識しないか? それは、はなはだ子供じみた感覚でもあった。 大昔から、芸術家は、ひとにぎりの金持ちの為に 表現の場を与えられていたのではなかったか? 不可解だ。芸術とはなんぞや。 何ほどの勉強もすることなく、66年もぼやぼや生きてしまい、 恥ずかしくも、もったいない人生だったと、嘆いている私。 今ごろ気付いても遅すぎる。遅すぎる。遅すぎる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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