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カテゴリ:母
最近、夫は、ちょっとした旅行を計画していたのですが、
出かける前日になって、私が、あることを思い出しました。 それは5年ほど前になるでしょうか・・ある日、 私が夫に私の夢について話をしたことがありました。 私の母は亡くなる前に、生まれ故郷を夢見ていましたが、 「一度、△△線に乗って、ことことことこと故郷に帰りたい」と、 しばしば言っていたのです。 ですから、 「私が△△線に乗って、お母さんの代わりに、 ことことことこと母の故郷に帰ってあげるのが夢なのよ」 と言うと 「あ、、涙が出るじゃないか・・・」と、夫も声を詰まらせたことが あったのです。 でも、私達はこの年齢に至っても、なかなか暇もなく 時はどんどんうち過ぎて行くだけでした。 母の故郷近くに旅行するにあたって ふとそのことを思い出したのです。 急いでPCに向かいました。 実は、私は、母の里の住所も番地も全く知らなかった事に気がつきました。 長年親類のお付き合いを全くせずに、 引越しばかりする生活で、ばちがあたったようです。 覚えていることは、戦時中に母と共にその家に疎開したこと、 私は3才か4才でしたから、何も覚えていないのです。 △△町って、どこかな?と思ってネットで探しました。すると、 Googleマップに、それらしき町の駅名。 そして、その駅を中心に古い町並みが、そのまま残っている写真が出ました。 その写真を見て、ピンと来たのです。 「あ、これがお母さんの家じゃないのかしら・・」 どう表してよいやら判りませんが、鋭い勘が働いたのです。 そのGoogleマップの古い家の写真を頼りに、母の里に行くことにしました。 旅行の第一目的を果たし、一日を延長して 最後の日に、△△線に乗って、いよいよ母の里に向かいました。 車だったら楽だったのですが、 △△線に乗って訪れることが母の願いだったからです。 △△線に乗ると、電車はどんどん山に登っていくのです。 一度乗り換えたりして、2時間も乗っていましたら、 急に夫が 「次は○○駅だって!!」と言うのです。 「え=?○○駅だったらお父さんのお里だ=!」私は驚いて、 目を皿のようにして父の昔の家を探しましたが、分かるはずはありません。涙 母の夢を叶えてあげたいと思っていたけど、 △△線上に父の里もあるとは 考えてもみませんでした。ほんとうに、ほんとうに馬鹿ですね。 やっと目指す駅に到着しました。 母の町が、分からなくても、ネットに古い町並みの写真が出てるくらいだから、 タクシーで聞けばつれて行ってくれるだろうと、かる~く考えていたら、 なんと!とんでもない駅でした。 山の中の藪の中の駅は、駅とは名ばかりで、 待合室もたった1畳程度のへなちょこの、雨をしのぐだけの屋根と 木の長いすひとつでした 出来た当時から、 全く進歩していないのだろうと推察できます。 もちろん無人で、トイレも無く、飲み物もなく、タクシーなどあろうはずも無い。 私達は、びっくりしながら細い山道を下った。 右の山の下の田園方面と左の山道のどちらに行ったら良いだろう? と迷っているところに、 ちょうどスクーターに乗ったお婆さんが通りかかった。 「もしもし、古い町は、右ですか?」 「ああ、そっちは田舎ですよ、町は山を登ります」だと~! 山の方が町とはね? それに相当の山の田舎で、「そちらは田舎」と言われてもねぇ。^^ ぼっつりぽっつり山道を歩いて30メートルも登ると 急に目の前にGoogleマップの写真にあった古い町が開けた。 近所のおじいさんに目指す家の主を聞きただすと、 やはり、私の思ったとおり、 ばっちりそれが、母が生まれ育った家だった! 何故、するすると行けたのかは、判らない。母が導いたのかもしれない。 50年ほど前に売却した屋敷は 20年以上も前から、だれも住まない廃屋になって、荒れ放題だった。 私が裏に回って、確かめたら、うわあ~~~~~~~~ 昔のままの間取りが見えた。懐かしい~~~~~!!!! あの周りで遊んだ直径2メートルほどの大きな井戸の跡もあった。 蔵は無くなっていた。 私達が遊んだ庭に4軒続きの長屋が建っていて、 かつて人が住んだらしい跡があったが、そこもすっかり荒れていた。 大きな母屋は2階建てで、昔のままに、ひっそりたたずんでいる。 100数十年前に庄屋さんだった曾爺さまの建物は、 丈夫に出来ているのだろう。 「お母さん、とうとう△△線に乗って帰ってきましたよ」 と、心の中で語りかけた。 お母さんの思い出の△△山が、北西の方角に光っていた。 「ああ、お母さん、△△山の見える家に帰ってきましたよ」 と、空を吹く風にも伝えた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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