連続テレビ小説『らんまん』第120回
内容早川逸馬(宮野真守)から資産家の永守(中川大志)を紹介される。万太郎(神木隆之介)の図鑑の出版などに投資したいという。一方、竹雄(志尊淳)綾(佐久間由衣)は、藤丸(前原瑞樹)とともに。。。敬称略作、長田育恵さんいや。。。分かるよ。描きたいことは。ただね。正直なところ。あまりにも唐突感が強すぎて、違和感を覚えている。そらそうだよね。今週のエピソードって。実質、前回のラストから始まったわけだし。そう考えると、何の前触れも無く、いきなり“金曜”を見せられているのと同じなのだ。意味が分からなすぎる。かなり好意的に脳内補完は出来るけど。そもそも、今週のエピソードって。なんども“時間経過”を使い、たびたび“状況説明”を行っているので。どれだけ脳内補完したところで、“金曜”しか無いのは、紛れもない事実なのだ。良い例が、万太郎の家である“槙野家”の描写。長屋の場面が映るたびに、“見知らぬ人”が増えてしまっているのだ。説明などが欲しいわけでは無い。説明は、今作は“週2以上”行っているので、うんざりしているし。でもね。“時間経過”っていうのは、その見せ方も含めて、タイミング良く行わないと。“連ドラ”を壊してしまうのは、いわゆる“タイムリープ”モノによくある、失敗例だ。今作は、普通の連ドラと同じで、普通に時間経過しているだけであるが。これもまた、一種の“タイムリープ”“タイムスリップ”なのは言うまでも無い。だからこそ、タイミングが重要。そして“説明”もまた重要なのである。極力行わないようにして、“物語”の中で見せるというのが、本来、“連ドラ”で行うべき展開、描写だ。“朝ドラ”では、《カムカムエヴリバディ》なんて、ほんとに良い例。多少の唐突感や、違和感はあっても、物語の中で、説明を描き。。。違和感などを消していた。そういうのもまた“連ドラ”の“回収”なんだよね。ほんとは。謎解きだけが“回収”ではありません。不必要に、話を広げたり、不必要に、話を動かしたり、時間経過させたりしすぎるのが今作。今回のエピソードなら、竹雄と綾、藤丸の部分なんて、まさに、それ。もう少しシンプルならば、ここまでの違和感垂れ流しにならなかっただろうに。それにしても、ほんと、、、風呂敷のたたみ方が。。。。。。ね。。。(苦笑)広げ方も無茶苦茶だけどね。いや、広げ方が無茶苦茶だから、畳もうとして、上手く畳めないのだろうね。きっと。TBは以下のミラーへお願いしますhttp://maxexp999.blog100.fc2.com/blog-entry-8264.html