連続テレビ小説『ちむどんどん』第72回
内容帰省した暢子(黒島結菜)賢秀(竜星涼)に良子(川口春奈)歌子(上白石萌歌)も加わり、母・優子(仲間由紀恵)を、問いただす。一方、取材で沖縄にやって来た和彦(宮沢氷魚)は、嘉手刈(津嘉山正種)のいる現場で、優子と再会する。敬称略「どこに行ったか教えてくれないこと」が、子供の頃からあったらしい。まぁ、かなり好意的に見て、分からなくも無いけど。描いていることが描いていることだし。ただ、“隠すこと”なのかな?そこが、一番、分からないことです。仮に、賢秀さえ知らないとすれば、30年ほど?いや、“いつから”のほうが、“連ドラ”としては、大切だろう。今作は、和彦絡みで、話を広げようとしているためか、優子、賢三に“役割”を与えてしまっているが。主人公の両親だから。。。というコトも大切だけど。“連ドラ”としての整合性を担保するためには、善一だったり、賢吉、和恵夫妻のほうが、話をとして、まとまりやすく。そして分かりやすくなるんだよね。ごく一部の登場人物に、アレもコレもは、間違いなくやり過ぎなのだ。今作には、良い例がある。主人公・暢子だ。そして今作自体だ。“主人公だから”という理由もあって、アレもコレもとやらせているけど。それにより、成長などをするなら、理解出来るが。今作は。。。。じゃない。結局、アレもコレもに首を突っ込んでいる状態で、物語を紡いでいるが。どれもコレもが、中途半端で、“ドラマ”として、雑な結末になっている。ホントなら、今回のエピソード。。。いや“ネタ”にしても。“あまゆ”だけでなく、“フォンターナ”でも。。。なので。これ、上京した年から、描写出来たことなんだよね。もちろん、両親の昔話は出来ませんが。それはそれだ。これでさえ“ウークイ”および両親の過去に、母の再婚話に重ねる必要なんて無いのだ。アレコレと、重ねすぎて、混沌状態になってしまっているのが実際のところだ。当然、そういうコトをすれば、分かり難くなり。本来、“伝えるはずだったこと”さえ、伝わりづらくなってしまうのだ。ましてや。。今作は、“記念番組”の“つもり”だったんだよね?そういうところだよ。今作の悪いところは。チャンスなんて、いくらでもあったのに、必要無いことばかりやっていて、描く必要のあることを描かないから、こんなことになってしまうのである。最後に。最終的に“お涙頂戴”なネタを盛り込んだとしても。もうすでに、破綻している今作に、何を描いても意味は無いです。だって、そういう方向性で、そういう演出で、物語を紡いでしまったからだ。たとえ、今作として転機になったところで、視聴者の印象を変えるのは、不可能だと思います。きっと、強引に、話をすり替えたりして、まとめようとしてくるんだろうけどね。最近、書くことが多いけど。謎の引っ張りなどをすることが、“流行”になってしまっていて、その影響をもろに受けてしまっている“朝ドラ”前作だって、そうだったし。でも、それって、“物語”でも“ドラマ”でも無いんだよね。ただ、“説明”を先送りしているだけだから。ホンモノの物語は、そういう“説明”があって、そこから、話を広げるモノです。“説明”をするまでの“時間稼ぎ”は、所詮“時間稼ぎ”でしかなく。多くの場合。。。無駄話。。。時間の無駄遣いです。最近の流行の“考察モノ”なんて、まさに、それだ。5分で済むモノを、わざわざ1時間。。。。いや、1クール引き延ばしている。そういう作品って、多くの場合。2時間ドラマで十分。引き延ばしは、“物語”じゃないからだ。ほんとに、いい加減にして欲しいです。今回は、過去のエピソードになるんだろうけど。今作。。。そういう“後出しじゃんけん”が、多すぎですTBは以下のミラーへお願いしますhttp://maxexp999.blog100.fc2.com/blog-entry-7479.html