自分を知るために書き続ける
ライヴでは、ナイフで己の体を切り刻み、裸でガラス破片の上を転げまわったりと、常軌を逸した奇行の数々を繰り返す、狂気に満ちたカリスマパンクロッカー、イギー・ポップ。彼のインタビューをCSの音楽番組で見た。当時はカウンター・カルチャーと呼ばれ、すでにじゅうぶん反体制的だった文化ですら、彼にとっては、じゅうぶんに否定と憎悪の対象となり、音楽的テロリズムに満ちた作品で、彼は世界中の若者たちを魅了していった。一度は薬物中毒で一線から退いたものの、見事に復活。その彼は、TVのインタビューの中でこんなことを言っていた。「自分が何者かを知っていたら、誰も麻薬にもアルコールにもセックスにも手なんか出さない。自分のことがわからないからこそ、そういったものを通じて、自分を知る手がかりを得ようようとするのだ。」「俺が音楽を続けるのもそれと同じ。自分が何者かを知るために、自分は歌い続けてきた。」私たちの発行するメールマガジン、「こころの処方箋」に寄せられる相談にも、自分のことがわからない、という悩みがけっこうある。本当の自分がわからない、と、過去と今の自分の内面に焦点を当て、自分で自分を追い込つめてしまうパターンである。その苦しみの一端は理解できるものの、悶々と自分の内面と対峙し続けたところで、そこからコレという答えなんて、そう導けるものではない。かといって、他に成す術がないという袋小路な気持ちも、私なりに理解できる。イギー・ポップは音楽を通して自分を知るという。では私は、物書きの端くれとして、書き続けることで、自分を見つけていこう。相談者の方たちも、傷ついた己の内面に、追い討ちのようにナイフを突き立てるばかりではなく、かならずどこかにある抜け道を、自分の手で見つけて欲しいと思う。