非論理的思考だったらしい。
「感情や行動の障害を引き起こす原因のほとんどは、出来事ではなく、非合理的な信条である」アルバート・エリス博士の本の中にある一文です。エリス博士は、アメリカで有名な心理学者のひとりで(今もご存命♪)、過去の出来事や幼少児に受けたトラウマなどにとらわれていると、落ち込むことはあっても、癒されることはあり得ない。今の自分を認め、受け入れ、目先をちょっとかえるだけで、ずいぶんと世の中は違って見えるはず!というようなことを、日々、提唱されています。で、このエリス博士は、ほかにも人生を捉える上で、「不合理な考え方」とか、「非論理的思考」の、典型的なものをあげています。「どんなことがあっても、自分は有能でなくてはならない」「人々の肯定を勝ち取らねばならない」「私が認める人には、愛され、公平に受け入れられなくてはいけない」「私が生きている限り、自分が望む環境は与えられるべきである」などなどなど・・・。ん?コレ、どこかで見たことがあるような気がする・・・。最近、モノ忘れの激しい、スカスカ、スポンジ状の脳で必死に記憶を手繰り寄せてみたところ・・・。学生時代、リクルートスーツに身を包み、入社試験を受けたときに適正検査に、このような設問がいくつかあったように思い出しました。(とはいっても、十年以上前のことで、記憶もあいまいなのですが・・・)その時は、人からの圧倒的な信頼を勝ち取らねばならない、仕事はレベル以上のものを完全にこなさなくては意味がないなど、完璧主義の自分をかっこよく演出しながら、さっそうと理想的な回答を選んだ覚えがあります(恥)。実はそれらがエリス博士の言う「非論理的思考」の代表的なものだったわけです。む~、ショック!これからは、自分をよく見せようと、格好つけるのもほどほどにしておかないとだわね。このテストの結果、「少々、精神的に問題アリ!」、という烙印を、わたしは企業側に押されていたのかもしれません。そして「願望」と「義務」は違うんだそうです。「こうありたい」、という願望は持っていて当然、人が向上するのに欠かせないものではありますが、それがいつしか、「こうでなくてはいけない」、、という義務に変わった時、人々は現実と理想のジレンマに苦しみ人生がイヤに思えてくるらしい・・・。最近、大学の授業やら、ライターや講師のお仕事やらで、アレコレ忙しくて、うまく物事が進められず、取引先から「メールの返信が最近遅くない?」な~んて、軽く注意されることもあり(汗)少々、自暴自棄になることもありましたが、聖徳太子じゃないんだから、いっぺんにいくつものことを平行して完璧にこなせるわけがないですよね。もう少し気楽に、毎日を楽しもうと思いました。エリス博士の本、ちょっと落ち込んでる人とか、もう少し前向きな気分になりたい人にはお勧めです♪(あ、でもどっぷり落ち込んでる人は辞めたほうがいいです。余計、人生がプレッシャーに感じる恐れもあるような・・・。)性格は変えられない、それでも人生は変えられる怒りをコントロールできる人、できない人幸せなカップルになるために