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カテゴリ:はっちゃけ!楽しい課外活動
昼過ぎからボクササイズのレッスンを教えたあと銀座をぶらつくとアメリカでよく見かけた洋服屋、バナナリパブリックが銀座プランタンの別館でオープンしてた。
バナリパってこれまで日本にはまだ入ってなかったんだなあ。 でも日本で買うとやっぱり割高なんだろうな、と思うとちょっと。 これって、インド行ってさんざん安くおいしいカレー食べて帰国後に日本のインドレストランで高いお金を払うのを嫌がった経験(2回あり)と似てる(笑)。(ベトナム料理でも同様の経験をした) 現地に行ったら安く手に入るものでも輸出入を介せばプレミアがつくという貿易の原理を学んだものだ。 その後、会う約束をしていたドイツ人の親友Aと三田のジンギスカン料理屋へ向かう。 現在ドイツの大企業の日本法人に勤めるAとは8年前の4月に大学の国際交流サークルで知り合った。 ドイツの大学から一年間の交換留学で日本の大学に来た彼は当初、「コンニチハ、ワタシワドイツカラキマシタ」というのがやっとの状態であった。 交換留学であるからもちろん日本語を授業で学んでいくことになるわけだが、我々日本人が学ぶ英語でも同じように、教室で学ぶ言葉は日常会話には正式すぎることが多い。 そこで我が国際交流サークルが留学生達に提供していたサービスが「カンバセーション・パートナー」である。 同じ学生同士の何気ない会話を通じて生きた話し言葉を習得してもらうというのが趣旨だ。 もちろん、汚すぎる日本語はご法度であるが(苦笑)。 そこでコンビを組んだのがAと私だったというわけである。 折りしも大学入学直後だった私は選択したドイツ語に苦しんでいた。 ここにWin-Winの最強コンビが成立したのだ! 193cm、110kgのAはまさに気は優しくて力持ちのドイツ人。 当時海外経験は大学入学直前に行ったインド1回だけであった私には初めての外国人の友達だった。 彼の勤勉さはすさまじく、たった一年後には会話の教材は新聞の社説を用いるようになっていた! 「対人地雷廃絶運動は・・・」 なんて用語を操る彼を見て驚愕したのを今でも覚えている。 比較にはとてもならないが、良きティーチャーAから生きたドイツ語を教えてもらった私も彼から刺激を受けてこの言語が好きになり、大学2年の夏休みにはドイツ南部の小さな町カールスルーエに1ヶ月の語学留学に行った。 英語もしゃべれないぶんざいでドイツ語を学びに行くなんて無謀だなと思ったが(苦笑)。 滞在したカールスルーエ大学の寮の住民である大学生に説明された寮の規則がまったく理解できなかったときにその思いは確信に変わった・・・。 ともかく、それまでほとんど日本を離れることのなかった私に国際交流というものを啓蒙してくれた大恩人はAなのだ。 1年の留学を終えてAがドイツに帰国した後もEメール等で交流は続き、ボン近郊の彼の実家を訪ねた時はお母さんのスペシャル料理をご馳走になった。 その後、マールブルクの大学院を卒業したAはなんと日本にあるドイツ系企業で働くことになり、3年前からまた日本に。 日本での再会当時、私はMBA留学のため、トフルやら出願書類の準備やら面接準備やらで苦しんでいた。 私の状況を知るや、英語も堪能なAは面接の練習を提案してくれ、各種原稿のチェックもしてくれた。 ありがたや~。 何度もお礼を言う私に対して彼は言った。 「ぜんぜんいいよ!でもせっかく僕が日本で働くことになったというのにHideがアメリカに行くとはね(苦笑)」 確かに(笑)。 出発直前に行った私の結婚披露宴の時はあいにくドイツに帰国中でAは出席できなかったが、代わりにビデオメッセージをくれた。 そんなこんなで2年の歳月が流れ、また再会を果たしたのだから感慨もいっそうである。 いまやドイツ語、英語、日本語の3ヶ国語を不自由なく操る彼にはカンバセーションパートナーとしての私は必要ないだろう。 ドイツ語はすっかり忘れ、英語も日々忘れいく私は・・・(苦笑)。 そんな私と半日英語で話してくれるAはなんていい奴なんだ! でも友情というのは言葉とか文化とかを越えられるんだということも彼は教えてくれている。 ジンギスカンを食べた後、近くにある我らが母校の三田キャンパスに立ち寄り、思い出話に花を咲かせた。 というわけでA、これからもよろしく! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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