テーマ:愛しき人へ(903)
カテゴリ:幸せのかたち
初めてのこと、初めてのとき。ドキドキ。 [ 幸せのかたち ]
今から書くことは、初めてのこと、初めてのときのドキドキが幸せだという話しだ。 これには、「誰と、○○を初めてする。」についてご紹介する。 改めて、テーマを読むとHな感じがする・・・。が、Hな話しではない。大真面目だ。 さて、初めてのことには、3パターンある。 「私も、一緒にそれをする誰かも、二人とも初体験」という場合と、 「私は初めてだが、相手は経験者である」場合、 「そして、私はしたことがあり、相手が初めて」というときである。 初めてのことは、子供だけの特権ではない。20代でも、40歳になろうが、70歳になろうが、世の中には、初めてのことが掃いて捨てるほどある。そして、一生のうちに、どれほどの初めてを経験しようが、パターンは上記の3パターンしかない。 友人のパターンと言い換えても良いが、 二人とも初めてのことに一緒に挑戦するとき。これは同級生、会社の同期、兄弟、家族に、このパターンが多いように思う。次に、自分が初めてのとき、これは先輩、上司、兄や姉、年上の従兄弟、親、おじなどになろうか。最後の相手が初めてというのは、その逆パターン。そして、友人ではあるけれど、初めてのことに一緒にチャレンジすることのない友人、大人になってみれば、普通の友人、知人、ご近所、同僚は皆、この範疇に入る。 今日の主題は、初めてのことを一緒にしてくれる人を大事にしなさい、だ。 もちろん、それ以外の友人、知人も大事にしないといけない。 だが、特に、初めてのことを一緒にしてくれる人を大事にするのだ。意識して、大事にするのと、そうでないのとは、一生のうちに大きい差になる。ずっと一緒にいるつもりの友人であっても、一期一会なのである。物事は流転し、大事なものもまた、流れさっていくのだ。水の流れのように。家族でもそう。 家族を一生、家族だと思って、依存し、大人になっても甘える中年がいっぱいいるが見苦しい。正確には、家を出て後は、元家族、生きているご先祖様と思ったほうが良い。所詮は、親と自分の人生は、一生を通じて共にあるものではないのが事実で、別の人生である。 話が逸れた。「初めてのことを一緒にそようとしてくれる人」は、折々にあるものの、ずっと共にあるのではない。過ぎ去っていくのだ、ということを理解すべきだ。そして、初めてのことを一緒にしてくれる人を考えたとき、 これほど、親身になって、本当に、心から、あなたを考えてくれている人が少なくないことに気がつく。慕う、慕われる感覚を大事にしたいし、年が離れていても、一緒に新しいことに挑戦してくれる人があったときは、これは真に友人と言っていい。 そして、最後に残る人たちがいる。誰がいなくなっても、その人たちが残り、傍らにある。それを家族という。だから、主題に付け加える。まず、家族を大切にして、次に、初めてのことを一緒にしてくれる人を大事にする。そして、周りの全ての人を大切にする。これが幸せの順番というものである。 そして最期に自分もしあわせになっていく。 記:とらのこども お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.11.16 18:29:29
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