「天空ノ鉄道物語」 その2 (東京鉄分補給の旅 その37)
なかなか筆がすすまなくて、前回更新から1週間近く空いて、さらに、ネタ収集してからは半年も空いてしまいましたが、「東京鉄分補給の旅」は終盤ですので、のんびりお付き合いいただければと思います。「東京鉄分補給の旅」その1「東京鉄分補給の旅」ホテル宿泊編(ホテルメッツ秋葉原)「東京鉄分補給の旅」2日目の最初なお、お出かけ日は2020年2月16日(日)~17日(月)の1泊2日でした。新型コロナの影が忍び寄ってきつつはあったが、特段の規制はまだ敷かれていなかった段階。大騒ぎになるおよそ2週間前のことです。 当時、六本木ヒルズで開催されていた特別展「天空ノ鉄道物語」。これを第一ターゲットに、鉄分補給の旅をしました。記念品の硬券にダッチングマシーンで日付を入れ(前回ご参照)、1964年=前回の東京オリンピックの年の上野駅を再現した改札口を入って、鉄道三昧の世界へgo! 懐かしくて撮っちゃった「いい旅チャレンジ20,000km」。1980年代に開催された、開始当時およそ20,000km・242線区あった国鉄の旅客営業全線を乗りつぶしてもらおうという国鉄主催のキャンペーン。そのルールブックです。路線の起点駅と終点駅(一部は指定の途中駅も)で駅名標と自分が写っている写真を撮って事務局に送ると路線走破を認定してもらえ、走破した線区数に応じて賞がもらえるといった内容でした。当時小学生だったので、キャンペーン末期にちょっとだけ参加し祖父と回りましたが、10線区賞をもらったかもらわなかったか程度で、民営化後の1990年、キャンペーンは終了したのでした。チャレンジくん 1【電子書籍】[ 荘司としお ]価格:550円 (2020/8/25時点) チャレンジくん 2【電子書籍】[ 荘司としお ]価格:550円 (2020/8/25時点) ブルトレのヘッドマーク。古いのから、ブルトレ末期のものまでありますね。特に、丸形の「富士」は国鉄時代のものですね。一方、「さくら・はやぶさ」は東海道ブルトレ末期に両列車が併結運転していた時期のものですが、いつみてもなかなか無理矢理なデザインです 注目した人は少ないかもしれませんが、鉄道展らしいデザインの注意喚起がありました。「ご理解とご協力をお願いいたします」という文言も鉄道っぽい 「さよなら国鉄」コーナー。鉄道博物館でもそうですが、この時代にスポットを当てる展示を見かけます。 分割民営化(JR化)前に駅等に掲示されたと思われる国鉄総裁メッセージポスター。「新会社で輝ける未来」といったテイストではない内容に、大量の解雇者を出した分割民営化への悲壮な決意が伺えます。 一方、民営化から1年後のダイヤ改正(※)は華々しいもので、「青函トンネル(海峡線)開通」「瀬戸大橋(本四備讃線)開通」で4島がレールでつながる画期的な年となり、「一本列島」と銘打って大熱狂が演出されたものでした。引き換えに、青函航路・宇高航路の廃止もあり、まさに新時代開く!という1988年の春でしたね。※:青函トンネル開業に合わせて全国ダイヤ改正が行われたが、瀬戸大橋関連はおよそ1か月後。 「竜飛海底駅」には行ったことがあるなあ。小6の夏休みでした。 青函トンネルを通っていた「トワイライトエクスプレス」(初代)のヘッドマーク。大阪からは「トワイライト」と「日本海1・4号」が青函トンネルを通過していました。余談ですが、日本海1・4号には函館延伸時、食堂車用にと5号車が欠車となっていたそうです(交友社『鉄道ファン』1988年6月号,p63)。しかし、青函トンネル開業後の「日本海」に食堂車が連結されることはなく、電車特急の食堂車からの改造が済んでいた食堂車は、トワイライトエクスプレスの「ダイナープレヤデス」に再改装されたのでした。 ほかにも「出雲」や「瀬戸」などのヘッドマークもあり… 裏側がわかるような展示方法は珍しい。好奇心を擽る工夫ですね。まだまだ続きます…以下、次 回!