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カテゴリ:情報量理論
 ぼくの提唱した「情報量理論」を紹介しようとするブログが現れた。知る人ぞ知る「猫とバスケと翻訳と」である。
 自分が咀嚼できていない理論を紹介することにそもそもムリがあるとの批判もある。
 それでは、自分が咀嚼できていさえすれば、紹介ができるかと言えば、そういうものでもない。

 何人かを集めて、まったく同じストーリーをもとに小説を書かせれば、かなり細かいところまであらかじめ決めておいたとしても、面白い小説もできれば、つまらない小説もできる。

 構成はほぼ同じでも、いわゆる語り口だけで小説の様相は一変する。
 まったくの作り話だけでなく、歴史にも文体は重要である。歴史とは事実の羅列ではなく、史観の提示であるからだ。


 では、客観的な科学的真実を語るのに、文体は不要だろうか。
 絶対的な真理というものが存在するとしても、ただ語っただけではだれも納得しない。ましてや、これまで一度も耳にしたことのない理論を、理論的な誤りなく語りさえすれば、だれがどう語っても同じように受け入れてもらえるとはとうてい思えない。

 そういうことを理解せず、非常に狭い意味での論理性と、ことばの構造上の論理性だけに異常なまでにこだわり、やっていることと言えば、借り物にすぎない英語の論理だけを拠り所に、「これらの」、「より~」、「~における」などを散りばめて事足れりとする文章があまりにも多い。


 たったひとつ、ことばの選択を誤っただけで、健全な理論までも否定するいかがわしい邪説であると思われてしまう。語り口ひとつ誤っただけでも、理屈のための理屈だけを追い求めるただの個人的な趣味だと思われてしまう。

 提唱した本人でさえ、語り口やことばの選択に、過剰なまでの神経を使っている理論を、咀嚼すらできていない者が紹介することなど、土台ムリな話なのである。


 それではなぜ、そんなブログに承諾の意思表示をしたのか。もちろん、事後承諾だったということもある。しかし、それよりも何よりも、自分の理論の前に立ちはだかるものが、いずれは自分を強くしてくれるだろうという思いと、道なき道を切り拓こうとする者が、避けて通ることは許されないという思いがあったからであり、半ば殉教に近い気持ちで、ブログの軌道修正役を引き受けたのである。

 指導者として、他人に何かを伝えようとするとき、今度こそは伝わったかと思っても、知らぬ間に当人が余計なことを考えて、いつの間にか横道に逸れてしまうようなことは日常茶飯事である。むずかしいことはできるのに、案外簡単なことができない。ぼくはそこに何やら得体の知れないものが潜んでいるのではないかと思っている。言われた指示をひとつかふたつ守れば簡単にできることでも、その何倍もの余計なことを考えて道に迷ってしまう。そういうものを、ぼくは巷に言われているのとはややちがう意味で「心の闇」と呼んでいる。

 今回引き受けたのも、その心の闇にとことん向き合う作業を自分自身に課したからである。


 文体というものを広い意味で捉えるのはむずかしいかもしれないが、あのブログには文体がない。ちょっと他人から何かを言われただけですぐに動揺する。文体がしっかりしていれば、そんなことはけっして起こらない。

 管理人はこれまでのものを何らかのかたちで残しておきたいと考えているが、これまでのものは言ってみれば、まるめてくずかごに捨てる書き損じのようなものである。もちろん、だからといってムダになったわけではない。その書き損じがなければ浮かんでこなかった構想がいくつもある。


 理論を書きたい気持ちはわかるが、それは不可能である。今のぼく自身にもかなりむずかしい。

 もちろん、書いてもかまわないけれども、理論を紹介しようというのであれば、やめてほしい。そうではなくて、理論をめぐって、それを理解しようとする自分自身の葛藤やら何やらをさらけ出して、まるめた紙で部屋中がいっぱいになるほどの書き損じを作る。そして、そのなかから、新しい構想が生まれる。そういうつもりでやるのなら、やってもかまわない。


 理論を書きたいという気持ちに対して、今のぼくが言えるのはそれだけである。


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最終更新日  2006年10月04日 12時27分47秒
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