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カテゴリ:情報量理論
 語順が自由になるかどうかを考えていくと、どうしてもその自由が本当の自由であるのかどうかという問題に突き当たってしまいます。
 北京語、広東語、上海語、台湾語、ベトナム語、タイ語、ラオス語など、いわゆる位置語と呼ばれるものは、語順を自由に操ることができなければ、それこそ意味の違いを表現することもできません。ただし、この語順の場合はこの意味というように、語順によって文の意味が変わってしまうわけですから、その意味では語順が自由になるどころか、意味そのものに縛られてしまっていることになります。
 語順が意味そのものに拘束されているわけです。
 一方、ドイツ語、フランス語、英語、オランダ語、スェーデン語、ノルウェー語、デンマーク語などはほぼ語順が決まっていますが、その語順なるものは意味によって拘束されているのではなく、文法的にあらかじめ決められており、それ以外の選択肢を奪われているわけです。
 日本語ではふたつの問題が考えられます。

 〇 むかしむかしあるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。

 △ おじいさんとおばあさんが、むかしむかしあるところに住んでいました。

 △ あるところに、むかしむかし、おじいさんとおばあさんが住んでいました。

 この場合、文法的には下のふたつもありえますが、けっしていい日本語ではありません。欠格文であるとも言えます。
 では、次の3つはどうでしょう。

 □ おじいさんがこの前、ぼくのところにやって来て、こんなことを言うんだよ。

 □ この前、おじいさんがぼくのところにやって来て、こんなことを言うんだよ。

 □ この前、ぼくのところにおじいさんがやって来て、こんなことを言うんだよ。

 この3つの文は一見、どれも同じことを言っているようですが、含まれている情報が微妙に違います。この「おじいさん」なる人物が聞き手にとって了解ずみの人物であるかどうか、100パーセント決定的なことはわかりませんが、話し手がいい加減に文を作っていないかぎり、「おじいさん」が前に来るほど、その可能性が高くなることがわかります。
 他人の書いた文を添削することを考えると、上の△をつけた文は迷わず直せますが、下の文はそう簡単には手を入れることができません。
 語順というものが微妙な情報を伝える役割を果たしているわけで、語順の自由などないことになります。
 上の3つの文では、語順を変えてみても、その語順の違いによって異なる情報を伝えることにはならず、同じことを伝えるのであれば、〇をつけた文にするのがいいというほどのところに落ち着きます。
 このように語順と情報という観点からみると、世界の言語はほぼ次の3つに分類できるのではないかと思います。
 1 情報を伝えるのに語順が決定的な意味をもつ言語
 2 決定的ではないものの、語順がそれなりの情報を担っている言語
 3 文の構造があらかじめ決められており、語順そのものから引き出せる情報がほとんどない言語

 もちろん、この3つの間にははっきりと線が引けない面も多分にあります。スペイン語のようにある程度語順が自由になるようにみえても、それはあくまで文法的に自由になるということであって、外国人が少し気を許すと、「あるところに、むかしむかし、おじいさんとおばあさんが住んでいました」のような欠格文ができてしまいます。
「スペイン語、おじょうずですね」が結局はHabla Ud. muy bien español.という語順に落ち着くのは、スペイン語には基本的に動詞のなかに主語が含まれているので、まずHablaで始め、二人称敬称と三人称がたまたま同じ活用なのでUd.を添えておくというごく当たり前のことから始まります。その次にmuy bienという副詞が来るのは、スペイン語の慣用上の約束事で、同じことを言うのに人によって順序が違うよりは、だれもが同じ順序で話す方が聞く側の心の準備ができやすいためではないかと思います。
 そういう約束事を知っていると、muy bienを聞いた時点で次に来るものをある程度予測して聞くことができます。
 Habla Ud. español.と言ってしまうと、もうそこでスペイン語がわかるかわからないかを問題にしていることになり、話が終わってしまいます。スペイン語話者の間にはそういう了解があるわけで、その了解を抜きにして文法を語るのは、非常に空虚なことであると言えます。

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最終更新日  2006年12月08日 17時14分43秒
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