|
カテゴリ:言語
そう言えば、スペイン語で「ちょうだい」とか「ください」とか言うときは、単にDeではなく、Demeとなり、フランス語でも、Donnez-moiというように「私に」に相当する部分が必ずつく。
ぼくなんかは、そういうことは体にしみついていて、逆にmeやmoiがないと気持ちが悪いが、初心者のなかには、このmeやmoiの部分がなかなかピンとこないという人がいる。 そもそも、どうしてそんなものがいるのか。 川を渡る舟と同じで、片方の岸から乗れば、向こう岸で降りる。川を遊覧して帰ってくるときには同じ岸から降りるが、「私たち」というときがまさにそれに当たる。 それ以外は、どこからどこへ行くのかが問題になるわけで、ことばでも当然、「だれが」だけではなく、「だれがだれに」が問題になる。ごく当たり前のことだ。 ところが、ヨーロッパの言語ではほとんどが「乗り場」しか表現しないため、仕方なく、動詞のあとに(場合によっては前に)me、moiなどをつける。もちろん、英語のgiveも同じで、Giveだけでは何となくすわりが悪い。当然、Give me. となる。 これが日本語になると、「ください」と言うだけで、両岸の存在がわかる。「あげる」でもそうで、ほぼ一人称 → 二人称になる。「手伝ってあげてくれる」というと、二 → 三人称の状況が浮かんでくる。 また、「召し上がる」には一人称がないことになる。 情報伝達のさいに、送り手や受け手の立場がわかるようにするのに、主語を立て目的語を立てるしか方法がないわけではない。 「くれる」、「あげる」だけで、動作の主体ばかりか、相手の存在までわかるのだから、わざわざ「私に」や「あなたに」がいらないのも当然である。 「give = 与える」が誤りであることは言うまでもないが、give = 「あげる」または「くれる」も実は誤りであって、(You)give me = 「くれる」、(I)give you = 「あげる」でようやく近似値と言えるところまでこぎつけることができる。だから、特殊な場合を除いてはgive me を「私にください」とするのは、とんでもないことなのである。 日本語だけではない。アジアの言語には、このように向こう岸がわかるものがある。 単に一人称か二人称かというだけでなく、向こう岸のことまで考えて、I→II人称、II→III人称なるものを意識できれば、翻訳するさいに、ムリヤリ余計な人称代名詞を補うことも、逆に必要なものをつけ損なうことも少なくなるのではないかと思う。 ←ランキングに登録しています。クリックおねがいします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年12月15日 09時15分09秒
コメント(0) | コメントを書く
[言語] カテゴリの最新記事
|