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カテゴリ:言語

 世の中、英語、英語と騒いでいるが、その昔、日本史で習ったように、ウイリアム・アダムスが徳川家康に謁見していたとき、どうやって意思の疎通をはかったか、考えたことがあるのだろうか。

 ウイリアム・アダムスはイギリス人、いきなり日本に来て、いったいどうやって時の将軍と話ができたのか。
 日本史でそれを習ったとき、疑問に思わなかった人間は、漫画の世界に生きている人間である。
 そんなことは漫画の世界にしか通用しない。対馬と朝鮮半島の交渉でも、お互いに漢字がわかっていたから、漢文のようなもので意思の疎通をはかることができた。

 ウイリアム・アダムスが英語しかできない人間であったとしたら、徳川家康との交渉は絶対に不可能であったわけで、実はアダムス氏は当時、航海の世界では有力だったポルトガル語が話せた。
 日本には当時、ポルトガル語-日本語辞典もできており、徳川方にはポルトガル語の通訳もいた。
 だから、ウイリアム・アダムスはポルトガル語を介して徳川家康と話をしたのである。

 日本にとって、こんな大事な歴史的経緯をないがしろにして、今の日本、ポルトガル語に対して冷たすぎるのではないだろうか。

 しかし、歴史というか、社会というものは面白いもので、その日本の中心からきっちりはずされているところにそ、大事なことはちゃんと守られているもので、岩手県の北上駅ではちゃんとポルトガル語の新聞が買える。これ、余談なので、関係ないと思う人は読み飛ばすべし。

 要するに、英語なんてものは、ほんの束の間、歴史の表舞台に出てきた言語にすぎないのであって、それ以上のものでもなければ、まして絶対的なもの、唯一無二のものなんかではない。



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最終更新日  2008年10月12日 22時09分22秒
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