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カテゴリ:言語

「別件逮捕」の学校英語、別件は不起訴(ソレイアのホームページより転載)

 日本人が英語を話せないのはお前が悪いからだとして逮捕され、取調べを受けていた学校英語がどうやら不起訴になりそうな模様である。
 ひと昔前は、会話中心に変えなければという論調ばかりが強くて、文法中心、読解中心の教授法がまさに崖っぷちまで追い込まれていた。
 ぼくも高校を卒業したときにはそう思っていた。ただ、ぼくの場合は英語にはさっさと見切りをつけて、自分の納得のいく方法でスペイン語をモノにできるかどうか試してみた。その過程で鳥飼久美子さんらの本を読み、単にペラペラ話せるようになればいいという考えがいかに愚かしいことかを思い知らされた。スペイン史を専門にしていたこともあって、かなりの本を読んだ。話せるようになったのも、単にテープを聴いて復唱したからだけではない。やはり、読書量の裏づけが大きくモノを言った。
 その後、ECCのスペイン語講師になったときも、同僚の英語講師の話を聞いて、自分の考えがまちがっていなかったという思いをますます強くした。その人の話によれば、当時いっしょにアメリカに留学していた日本人たちがみな、寮に帰ってから1日1冊ペーパーバックを読むことを目標にし、競い合うようにして読んでいたという。アメリカに行って学校にも行っているのだから、そのままの流れに身を委ねていれば、英語など自然にできるようになると思われがちであるが、本当にできるようになったのは、アメリカに行ってなお、陰でそういう努力をしていた人たちなのである。
 同時通訳者や、外国語を使って体を張って商取引をしてきた人たちの本には、必ずと言っていいほど「会話が上手になるには本をたくさん読むことが必要です」と書いてある。
 最初から読むだけで発音をまったく教えないのは困るが、ある程度音韻体系が身についてしまえば、必ずしも耳から学ぶ必要はない。本を読む方が語彙を増やすには明らかにすぐれている。
 文法なんてわかってもどうにもならないと言うけれども、せめて「文法がわかっただけでは」と言い換えるべきである。スペインでも、フランスでもイタリアでも、単に話せればいいというのではなく、文法の誤りのないことがいかに高く評価されるかを目の当たりにした。その意味でも文法を徹底的に教え込む教授法はけっしてまちがってはいない。
 高校を卒業してから数年後には、「日本人は読むのは得意だけど、話すのは苦手」という認識が誤っていると思うようになった。
 話すのもあまり上手じゃないけれど、読むのはそれ以下。翻訳はお話にならない。
 いずれにしても、学校英語を相手にして、「日本人がなかなか英語を話せるようになれない」のは、「音声言語として教えていないから」、「文法、読解中心だから」という理由を持ち出してきても、とても公判を維持できそうにない。このままではもちろん、不起訴になることはまちがいない。
 それはいい。ところが、どうも最近の風向きがおかしい。せっかく別件逮捕しておきながら、このままでは本件まで不起訴になってしまうおそれがある。
 たとえば、不起訴に大きく傾いた論拠のひとつに、言語的距離の問題がある。英語の母語話者がフランス語を習得するのに要する時間を1とすると、ロシア語3~4、中国語6~7、日本語、韓国語10という数字が出ている。これを日本語の方からみると、英語が日本語からみてかなり遠い距離にある言語であることがわかる。英語からみて日本語が10なら、日本語からみた英語も10になるはずだが、この数字だけでは、日本語からみてロシア語が7前後かどうかはわからない。もしかすると13になる可能性もある。
 それはともかく、この距離の問題を抜きにして、英語が話せないのを教授法のせいにするのはおかしいという論拠である。
 学校英語を釈放する前にちょっと待て。距離の問題は、果たしてどうにもならないことなのか。それに、言語間距離があることがわかっているのであれば、なぜそれを考慮に入れた教授法を採用しないのか。
 情報量理論が登場した意義は、こんなところにもありそうだ。

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最終更新日  2007年06月24日 00時49分03秒
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