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英語脳のお粗末 英語脳ということばを初めて聞いたとき、全身が震えるような感動を味わった。そんな凄いことを考えていた人がいたなんて。 英語脳ということばを聞いてまず思ったのは、「英語と日本語とでは現実の切り取り方が違う。単に単語を覚え、文の構造を覚えるだけでは英語がわかるようにはならない。だからこそ、英語による現実の切り取り方ができる脳が必要なのだ」ということだった。 英語と日本語とは当然のことながら、1対1で対応しない。たとえば、applicationなどは複数形も含めて、実に多くの日本語と対応する。応用にもなれば、貼付薬にもなり、申込書にもなるのだから、尋常のやり方ではついていけない。 もちろん、これくらいのことはやまとことばの力を借りれば、簡単に理解できる。「あてがい」である。方法としてあてがうのだから応用であり、傷にあてがえば貼付薬になり、応募してきた人が書き込みために用紙をあてがうのだから、申込書である。 英語を理解するということは、そういうことをやまとことばの力を借りずにやってのけることである。 そういうものを英語脳と名づけたとは、実にあっぱれ。そう思っていた。ついに、日本人の理解もそういう深いところにまで達したか。 ところが、どうもそうではないらしい。 単に英語の構文を理解し、英語を聴いて理解することができる頭を英語脳と呼んでいるらしい。 ああ、アホらしと思っていると、英語耳ということばまで現れた。 フランス語やドイツ語が聞き取れる者ならだれでもイギリス英語は聞き取れるのだから、もう少し正確に米語耳とでもしてほしいものだ。 ←ランキングに登録しています。何かちょっとでも得るものがあったと思われたら、ぜひクリックをお願いします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年07月10日 14時39分14秒
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