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カテゴリ:言語
さて、「勝ち組、負け組」が愚劣なことばだとは書いたが、勝ち負けを問題にすること自体が愚劣なわけではない。 人生は勝ち負けはつきものであり、勝ち負けを意識することなく大人になった者は、肝心なときに創意工夫によって道を切り開くことができない。 スポーツをする者たちは、試合での勝ち負けが人間の価値とは何の関係もないことをわかっているからこそ、勝負にあれだけ執着し、あれだけの情熱を燃やすことができるのだ。 だれがいったいどれほど声を上げようとも、英語を拒む者はいる。ぼく自身、英語よりドイツ語の方ができる日本人を少なくとも7人は知っている。いずれはぼくもその仲間入りをしたいと思っている。 当然、そこには勝ち負けではない何かがある。アングロサクソンの文化より、ドイツの文化に強く引かれる人がいるのは当たり前のことで、ドイツ語の方ができる日本人にしても7人「も」ではなく、7人「しか」と言うべきである。 アメリカは論外として、イギリスとドイツを単に好き嫌いの点で比較すれば、1対9くらいにはなる。なのに、ぼくの語学力は、英語を5とすればドイツ語は4くらいで、明らかに好き嫌いの差を正確に反映していない。 ぼくにとっては、ただそのことがひたすら悲しいだけのことである。英語に力を入れた方が高収入が得られることはわかっていても、人生のどの瞬間にも英語の音楽が鳴っているような人生は苦痛以外の何物でもなく、スペイン語の音楽、フランス語の音楽、イタリア語の音楽、ポーランド語の音楽に浸っている時間を確保できてこそ、生まれてきた甲斐があるというものである。 この事実だけをとっても、「勝ち組、負け組」ということばがいかに虚しいものであるかがわかる。 英語を拒否して、20年間、ひたすらドイツ語に「入れ込んできた」女性がいる。オランダ語も、その普及度を考慮に入れればかなりのものである。 英語よりよくできる言語が2つある。そういう人にはなかなかお目にかかれない。その点でもたいしたものである。 ところが、この人はどうも、人生のあらゆる要素をドイツ語に注いできたようなきらいがある。価値観の問題として結婚しないのなら、それはそれで、他人がとやかく言う問題ではない。しかし、ドイツ語の学習に差し障りのあることは須らく拒否するというかたちで、この人の人生は進んできている。 もちろん、それも人生。別に否定するつもりはない。むしろ、拍手を送りたい。 ただ、悲しいことに、ドイツ語やオランダ語で生活費をたたき出すレベルに行き着くことができなかった。 英語以外の言語に入れ込んで、それだけで食べていけないことがわかったとき、だれもが考えることは、「それじゃあ、英語をやろうか」である。 ところが、その人は「英語をやったら、負けたことになる」という科白を吐いた。 その瞬間、しら~~とした空気が流れた。親父ギャグよりも寒い。 ぼくも英語なんかやりたくはなかった。だけど、英語を拒否した場合の生活、収入など、あらゆる観点から吟味して、自分の人生、これでやっていけるという結論が出た時点で、英語は基本的に無視するという方針を決めたわけだ。それでも、所詮、ヨーロッパの言語はみな親戚同士、そのうえ英語そのものが格式ある諸々の言語のかなりいい加減な寄せ集めであるから、ある程度ほかの言語をやっておれば、そのおこぼれで、英語で翻訳の仕事をするくらいの力は自ずとついてしまうものである。 人間やはり、いくらきれいごとを並べても、食べていけてなんぼである。「人はパンのみで生きるのではない」と言っても、あくまで「のみ」であって、パンがなければ、あとは死だけが待っている。 たまたま親の家があるからいいものの、年老いた親の厄介になり、貯金を切り崩しながら、それでもなお「英語をやったら、負けたことになる」と言うのは、いったい何にどれだけこだわってのことなのか。 そう言いながら、今まで学習した言語は英語と同じゲルマン系のドイツ語、さらにはドイツ語よりも英語に近いオランダ語。そればかりではない。次にやろうとしているのが、そのオランダ語と英語のほぼ中間に位置するフリージア語だと言う。 しかも、翻訳で食べていきたいといいながら、自分のきらいな分野、たとえば理系の分野はいっさいする気がない。かといって、文芸で勝負するだけの圧倒的な読書量もない。 趣味だけで生きていければ、人生こんな楽なことはない。 それでもなお、「英語をやったら、負けたことになる」ということばは魅力的である。 ただ、このことばは、それこそ死に物狂いで格闘してきた人の口から聞きたかったと思う。 ←ランキングに登録しています。何かちょっとでも得るものがあったと思われたら、ぜひクリックをお願いします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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