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翻訳者のほとんどが、行き当たりばったりの訳語を選択していることは言わずとしれた事実であるが、日常生活の場でも、ことばの選択がままならないことは「案外知られていない」 以前、自転車操業をしていて、なかなか翻訳料を払ってくれないアルコンという某翻訳会社に、「いついつまでに支払わなければ、法的手段に訴える」と書いて送ったところ、「なにやら脅迫めいた文面があって」などと言ってきた。 さいわい、翻訳料そのものは支払ってもらったが、脅迫というものは不当なことを不当な手段で要求することを言うものであって、正当なことを正当な手段で要求することは、脅迫とは対極にあるものである。一応「めいた」をつけているとはいえ、いやしくもことばを仕事とする人間が、そんないい加減なことばの使い方をするべきではない。 いい加減といえば、上には上がある。天は人の上に人をつくらずと言うが、卑しさ、あさましさという点では、天は福沢諭吉の理解をはるかに超えたことをする。 現在、日本中の翻訳者が注目し、行方を見守っているブログがある。有志が集まって「顰蹙まんじゅう」まで用意し、このブログを読んだ人はぜひともこの「顰蹙饅頭」を買ってくださいと、大声で呼びかけている。 なにしろ、ある会社から試用期間を設定して仕事をもらっていたのに、そのあと本格的に仕事が出るようになったら、自分のやりたいことができなくなるから、「試用」のうちにさっさとやめてしまったという話が「堂々と」書かれている。使う側にすれば、「試用」期間中はいわば掃き出し、現時点では戦力にならないが、そこは育てていこうという親心。まさに、恩義も義理も、何もあったものではない。 ところが、このブログの主、cara dura(厚顔)というかなんというか、そのことを指摘した書き込みに対して、自分も別の翻訳会社から不当な理由で突然仕事を切られたことがあるから(あんたの日本語じゃ、仕事を切られるのは当たり前)、弱い立場の翻訳者が自分を守るために、「やられたからやり返す」のは当たり前だと主張する。 それって、自転車を盗まれたから、他人の自転車に乗って帰るという理屈と同じではないのか。 しかも、この主、大切なことを教えてくれて本来感謝するべき書き込みに対して、「誹謗中傷は許しませんよ」と来た。 書き込みには少なくとも、次のような段階がある。 感想 意見 苦言 注意 説教 批判 警告 抗議 非難 誹謗中傷というのはさらにその上にあるもので、先に書いた書き込みの内容など、せいぜい意見程度のもの、辛くみても苦言にしかならない。それを一挙に「批判」、「抗議」、「非難」を通り越して「誹謗中傷」でくくってしまうのだから、現実を掬う網の目の粗さは半端ではない。 いつまでも、こんなことを続けていると、そのうちに顰蹙まんじゅうではすまなくなる。 日本全国津々浦々で顰蹙みかんが売られる日が来ないうちに、自分の足元を見つめなおしてもらいたい。 ←ランキングに登録しています。何かちょっとでも得るものがあったと思われたら、ぜひクリックをお願いします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年12月23日 08時31分14秒
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