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カテゴリ:教育

 競争社会という偽装(1)

 近ごろ、何かにつけて偽装が話題になっているが、偽装なんてものは人類の歴史、いや生物の歴史が始まったときからあるもので、今さら騒いでみたところでどうなるものでもない。
 枯葉と見まがう昆虫がいる。周囲の環境に合わせて七色に変化する爬虫類がいる。これが偽装でなくていったい何だと言うのか。

 ところで、競争社会というけれども、あれも一種の偽装だと思う。
 その昔、大学受験や通訳ガイド試験の競争率の高さにしばし呆然となったとき、勇気を与えてくれたことばがある。

 どんなに競争率が高くても、合否を争う人数は定員のせいぜい2倍である。

 ということは、その2倍までに入らない人たちとは競争なんかしていないということである。
 中学生のとき、よく考えてみれば、成績で勝ったことも負けたこともある生徒はせいぜいクラスで3人か4人しかいない。それ以外の生徒とは競争なんかしていなかったことになる。
 体育の先生が、こんなことを言った。アル中で有名だった先生だが、これだけは名言だと思った。

ある程度勉強のできる生徒はもう勉強なんかしないで、体育に力をいれて、体を鍛えるべきだ。(それでこそ、バランスがとれる)

なるほど、これはいいことを聞いたと思って父に言ったら、「ただな、そうすると、抜かれる可能性がある」と、父独特の理屈が返ってきた。

本当に競争社会なら、抜かれることがあるのは当たり前。抜かれることがいけないのであれば、これはもう競争ではなくて、「固定」である。
テストとなれば、必ず出題範囲が決まっていて、それ以上のことを勉強しても点数につながらない。入試でも「これ以上のことを出題してはならない」という約束事がある。
競争というより、親や先生がお膳立てをして、「だいたい、お前はこの程度の人間だから、常にこの辺の位置におれ」と、「配置」を決めているだけのことだ。

ぼくたちが中学以来続けてきた反抗が空回りに終わったのはきっとそのためだ。
競争でもないものを、競争がいけないとか、受験戦争なんかなくなれとか叫んでもうまくいくはずなんかなかったのだ。
今頃になって、そんなことに気づくなんて、いったい何を「勉強」してきたのだろう。

その点、そろばん学校には本当の競争があった。小学生だって、高校生に負けるものかと思って本気でがんばった。そしたら勝てた。
でも、そろばんでは勝っても高校生はやっぱり高校生、それだけの人生を歩んでいる分、小学生ではとうてい及ばないものをもっていることがわかった。だから、尊敬もできた。 
 競争のあるところにこそ、真実があるような気がする。

 だから、本当は競争がいけないんではなくて、本当の競争ができないことがいけないんではないか。

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最終更新日  2008年01月13日 09時27分07秒
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