図書館にてターシャ・テューダーと出会う
今日は、旦那は朝から休日出勤。残されたのは私と子供3人。大声で自己主張(叫ぶ)ことだけが共通点の元気の良い子供たち。疲れた一日でした。午後、図書館にそんな子供を連れて行ったら、トラちゃんの歩きに誘われて、「MOE]という雑誌の4月号、ターシャ・テューダー特集と目があい、借りてきました。庭が好きなおばあちゃん。もう亡くなったそうですが、私は好きです。「where there is will, there is a way」(意思あるところに道はあり)私もいつも自分を励ましている言葉。ターシャおばあちゃんも同じことを言っていて励まされました。雑誌のインタビューの中で詩集『求めない』(加島祥造)の「求めない―すると本当に必要なものが見えてくる。 求めない―すると自由になる」という一説について引用され、どう思うか?と訊かれており、彼女は「求めるもの」がまったく無い人生を歩んできたわけではない。と答えているのですが・・・振り返って、昨日旦那との子供の教育に関するやり取りでカチンときたことがぶり返しました。(こっからはちょっと愚痴)だいたい男の人の思考パターンにはストイックなものが多くて、あまりにも完璧な理想を求めすぎ。旦那に比べて多くの時間を子どもや家事と付き合わなければならない私は理想を掲げていても、結局は時間や人間関係のやりとりに制約されて、妥協しなくちゃならないことが多く、お得意の「ま。いっか。」でなんとかことをしのいでいるっていうのに、まったくの正当論しかぶちまけないから、いやになっちゃうのよねぇ。別の本で新井紀子さんが「e-教室」についての対談の中で、女の子は、やりとりをしながら情報を集めて、相手の気持ちを通して自分も高めていくグループディスカッションがうまい、一方、男の子は、完成度の高いものを最初からガン!と出したい欲求が高い子が多い。自分が納得いくものをつくり上げていく過程が楽しいんだと思う。と述べておりました。ということは、私の今陥っているジレンマも男女の思考の差なのでしょうか・・・?何はともあれ、自分の道は自分でしっかり見定めて歩いていくのが自分にとってベストのようです。今日も例によって電車好きモンちゃんのために、長岡駅に電車を見に行きました。で、写真を撮って、家に帰ってから私が信越線の絵を描きました。トラちゃん、君も電車好き?どんな時も、花は美しく咲いてくれます。アンブリッジ・ローズの美しさによく慰められます。