宿命の対決!(第1弾)対決は運命であり、必然的な流れ
「宿命の対決!バブル課長vs団塊ジュニア」ということで、昨日から始めたシリーズ第1弾。今回は、そもそも何故この対立が起こっているのか、そもそもの発端について考えてみた。【結論】この対決は社会構造上やむをえないものである。この対決は運命であり、必然的な流れの中で起こったのだ。私が今いる組織の年齢構成を見てみたところ、大まかにわけると以下のようになると考えた。・50代・・・団塊の世代(部長クラス以上)約20%・40代後半・・・空白の世代(同上)約10%・30代後半~40代前半・・・バブル世代(課長クラス)約40%・20代後半~30代前半・・・団塊ジュニア世代 約20%・20代前半・・・ミニバブル世代 約10%組織において、「部長-課長-一般社員」という構図になっているとすれば、「課長-一般社員」の組みあわせは、まさに「バブル課長-団塊ジュニア」の世代間のセットになっているのだ。本来であれば、この世代間に数年おきに先輩社員がいるのかもしれないが、バブル崩壊後、企業が極端に採用を絞ったためにこの間の世代はほとんど存在しない。それによって、10年中抜きで「バブル課長-団塊ジュニア」という組み合わせになっている。したがって、現在の対決の構図は、10年前に企業が採用を絞り始めた頃からら必然的な流れとして、徐々に形成されてきたものなのだ。それがようやく目に見える形で現実世界に現れてきた。それだけのことであって、何も急に勃発したことではない。そもそも対決する運命にある世代だったのだ。しかし、対決する接点はあったとしても、何故ここまでバチバチと火花を散らすまでに対立してしまうのか?そのヒントは日頃の生活の様々なところに見え隠れしていると思う。50代の団塊の世代と団塊ジュニアは、なんだかんだと言ってもそれなりに認め合ったり、許容しあったりしていることが多い。お互いに全く受け入れられないということはあまりない。私個人も団塊の世代の話は、それは時代が違うよ~と思いながらも学ぶ点も多いと思っている。逆に団塊の世代も私たちの話を「お前たちのいってることはよくわからんが、そういう考えややり方もあるだろう」といって受け入れてくれることが多い。一方でバブル世代と団塊ジュニアではどうかというと、真っ向からぶつかっているような気がする。何故そうなってしまうのか?そこに何があるのか?次回以降は、日常のいろんな場面を通じて、この点について考えていきたいと思う。