恐怖の三陸海岸探訪記(本編2日目その5)
恐怖の三陸海岸探訪記(本編2日目その5) 巨釜と対になっている半造まで行く。 絶壁の出っ張り部分まで遊歩道になっているので、歩く。 スタート地点に頑丈な竹で作った杖が置いてある(写真下)。「ご自由にお使いください」というので、借用することにした。早い話しが杖をついて歩こうと云う訳である。 あたかも水戸黄門である。 だが、これがすこぶる役に立った。杖はステッキのように持つものだと思っていたが、水戸黄門のように長い杖を縦に握って歩くと楽なのである。 3点歩行の基本は、水戸黄門スタイルだと実際に持ってみて初めて分かった。あれは、長時間歩くのに実用的である。実際、富士山登頂やお遍路も同じ理屈で皆、水戸黄門スタイルである。 吉田茂のようなステッキスタイルは、短時間の場合の歩行補助である。こういう新発見は嬉しい。 その後、御崎神社まで足を伸ばしてお参りをした後、本日の宿をどこにするか思案した。 気仙沼に泊まるか、少し足を延ばして目と鼻の先である陸前高田(岩手県)まで行くかである。 ここは思い切って岩手まで行こうかと考えたが、巨釜半造の休憩所のマスターから聞いた宿情報と宿マップに基づき、気仙沼市内に泊ることにした。気仙沼にはそれほどの魅力がある。 市内中心部の某ホテルを電話で予約し、宿泊先を確保する。夕方6時半、気仙沼市内のホテルに到着。 当日の予約なので、夕食はない。ホテルで旨い飯屋はないかと尋ねたら、「復興屋台村 気仙沼横丁」があると云う。おおそうか、テレビで観た復興屋台村だと思い、そそくさと出向くことにする。 日曜日というので、復興屋台村の半分位はお休みだろうか、少し活気がない。だが、やっている店を覗くと結構どの店も盛り上がっていて安心する。 気仙沼に来たのだから旨い海産物を食べたいとまぐろ専門店「まぐろ亭」の暖簾をくぐる。 ここで食べた、特製「まぐろいくら丼」(写真上)は絶品であった。まぐろといくらがコラボして、舌の上でとろけるのである。生ビールも旨い。店主の震災の後の苦労話しを聞いてしんみりとする。 遅くなったのでホテルに戻る途中、森進一「港町ブルース記念碑」を探す。 暗くなっていたので探すのが大変であったが、発見する。意外にでかくて嬉しくなる(上がフラッシュをたいたものだが、ほとんど見えない。ネットで昼の写真を探したものが下の二つ。震災前と震災後。下は震災で傾いている)。「背伸びして見る海峡は」で始まる港町ブルースは昭和44年の大ヒット曲だ。この2番の歌詞で「流す涙で割る酒は だました男の味がする あなたの影を ひきずりながら 港、宮古、釜石、気仙沼」 と歌うのである。最後の「港、宮古、釜石、気仙沼」がサビで、これが耳に残るのである。気仙沼に記念碑を置くのはよろしいでござる。 さて、ホテルに帰り大浴場の風呂に入って二日目は終了した。二日目も中身の濃い旅となった(この項続く)。****************************************************謎の不良翁 柚木惇 Presents****************************************************