三沢、恐山、青森紀行(その1)
三沢、恐山、青森紀行(その1) 現在執筆中の小説が寺山修司をモチーフにしているため、5月18日(金)休暇を取って、三沢、恐山を探訪することにした。寺山修司は一九三五年生れ、一九八三年没。47歳でこの世を去り、来年が没後、25周年になる。 さて、今回の旅は、初日朝早く自宅を出て、東北新幹線で終点の八戸まで行き、そこから特急に乗換えて三沢に昼前に到着する。その足で寺山修司記念館を訪問し、時間があれば寺山の足跡を追おうと考えた。その日は三沢で一泊、翌日は下北半島の恐山を訪問し、深夜に横浜に帰るというスケジュールである。 その新幹線である。はやて3号、八戸行き。午前7時36分東京発。終点の八戸には10時39分着。そこから、特急白鳥3号に乗り換え、三沢には11時3分に到着である。 考えてみれば、東北新幹線に乗るのは2度目だ。前回は仙台支店に出張したときで、もう10年以上も前の話だ。それにおいらは仙台以北の本州には行ったことがない。 今回、岩手県(通過だけだが)と青森県に初めて足を踏み入れることになり、これには正直軽い興奮を覚える。これで国内の訪問したことがない県が、秋田県、和歌山県、奈良県、徳島県、鹿児島県の5県だけとなった。 今回の切符は、前にも述べたように、JR東日本20周年乗り放題パス(1日6,000円)を購入しての旅である。何だか青春切符みたいな気分になったので、宿もウエブで三沢の安宿を探し、上記スケジュール以外は全く気の向くままの小旅行である。 昨日遅くまで仕事をしていたので、帰宅は夜の10時を過ぎていた。それから、食事後パッキングを始めたので、就寝は1時過ぎ、朝は5時半に起きて、6時過ぎに自宅を出た。電車への乗車時刻が6時25分、平日とはいえ、楽に座ることが出来た。それでもサラリーマンで席は全て埋まっている。 東京駅に到着、起きて間がないので、食欲が全くわかない。しかし、戦の要諦は「腹が減っては何とか」である。万世のかつサンド(600円)と爽健美茶にする。一瞬、ビールを考えたが、それよりも眠気が勝ち、止めておこうと思う。 乗車後、斜め前の4人連れがシートを動かして、ボックス席にし、ダンボールで簡易テーブルを組み立て始めた。これには驚いたが、これだと、ビール・グラスも置けるし、摘みも目の前に置くことが出来る。これを最初に考えた人間は偉い。早速、この4人の酒盛りが始まる。ビールを買わなかったことを後悔する。 前の席の若いあんちゃんがケータイで喋っている。見事な青森弁だ。フランス語のようなイントネーションである。寺山の喋る青森弁を思い出した。東北新幹線の雰囲気が出ている。席は満席だと車内アナウンスをしている。上野で少し、大宮でどっと乗客が乗り込んで来た。満席となる。 ところで、東北新幹線と秋田新幹線は岩手の盛岡まで共通である。この「はやて」も「こまち」と連結されており、10号車までが八戸行き、11号車以降が秋田行きとなっている。趣があって、よろしい。 万世のかつサンドを食す。予想通りの味で満悦する。独特のソース味がうめい(江戸っ子風)。ビールを買わなかったことを悔やむ。 切符を前日購入したので、三人がけの真ん中の席(B席)であった。これが窮屈である。東北新幹線は東海道新幹線と較べて狭いのではないのだろうか。それでも睡眠不足である。仙台から盛岡までは熟睡した。体調が良くなったような気がする。 なお、検札は来ずである。これで良い。寝ているときに無意味な検札は迷惑である。JR東日本は偉い。全席禁煙も良い。 天気は盛岡で空が暗くなってきた。現地の予報は雨である。昨日は東京も昼過ぎまでかなりの雨が降った。低気圧が通過するという予報は当たりそうである。 八戸に到着、白鳥3号函館行きに乗り換える。満席のため、自由席を探す。運よく座れる。平日というのに人が多い。立っている人もいる。乗客のほとんどが年寄りのような気がする。やはり、JRのキャンペーンのせいか。 車中、寺山修司の資料に目を通す。寺山は青森中学に通っていたので、もう一泊して青森にも足をのばそうかと思う(続く)。*********************************************謎の不良中年 Presents*********************************************