藤田嗣治展に行く
藤田嗣治展に行く 今週末までである。いよいよ藤田嗣治生誕120年展も21日(日)が最終日となったので、17日(水)に東京国立近代美術館(竹橋)に出向いた(写真は地下鉄竹橋駅構内の嗣治展の広告)。 当初の予定では連休明けの先週行く予定であったが、所用が重なり、止むを得ず今週の訪問となった。月曜日は美術館が休館、翌火曜日は混むと予想して、水曜日の午後、小雨の中を訪れたところ、長蛇の列である。 待ち時間1時間である。美術館に入るまで!が1時間という意味である。係の人が「朝一番に来る以外、空いていることはありません、金曜日は夜8時まで開館しています」と言っていたが、金曜日は実質最終日のようなものだ。時間の工面をして出直したとしても無駄だと思い、列に並ぶ(ニュースによると史上2番目の入場者数らしい)。 会場の中も、もちろん展覧会の図録などの嗣治グッズ売場も人だかりである。それでも、流石に藤田展、見た甲斐が充二分にあった。特に、今回は約100点の展示のうち、日本初公開が約20点というのも嬉しい。 ほとんどの絵を事前に調べておいたので、現物を見ると感慨も一入(ひとしお)である。(意外な感想その1) 藤田はデッサン力が抜群であるが、構図の取り方や全身像などの場合、意外と下手ウマ(下手だが上手い)だということを発見する。ひょっとしたら、第1期の写楽と同様、限られた範囲内でのデッサン力だったのではないだろうか。ただし、その限られた範囲内のデッサン力は超抜群なのだが。 初期の写楽が大首絵しか描かなかったのは、描かなかったのではなく、描けなかったのだとおいらは推測している。それと同様に、藤田も上半身が得意であったと観たが、如何であろうか(写真は展覧会の図録)。(意外な感想その2) これは展覧会を訪問すると何時ものことだが、美術全集で見慣れた絵の大きさと本物の大きさのイメージとが異なっているということが良くある。今回も三人の妖精(スリー・グレイセス=懐かしい響きである)が思っていた以上の大きさだったので驚いた。あのゴッホのひまわりを最初に観たときの驚きと同じである(実物は予想に反する大きさであった)。これも実物を観る喜びの一つである。(意外な感想その3) 何故か、下関市立美術館所蔵の「マドレーヌ」が展示してなかった(写真はおいらの所蔵している版画)。 国内の美術館同士である。大丸美術館には貸与したのに、東京国立近代美術館には貸与しないのだろうか。それとも貸与の依頼をしなかったのか。何か理由があったのであろう、残念であった。 いずれにしても、嗣治をじっくりと堪能出来た一日であった。****************************************************************つるぎかずを Presents****************************************************************