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カテゴリ:スピリチュアル
26日(月)、rocoさんの電話心理セラピーを受けた。
このところ、楽しみにしていたイベント事が、自分や子供の発熱などでことごとく潰れている。それ以前から、仕事で大事な用事がある時ほど、子供に体調を崩される事が多かった。そういう困った環境を引き寄せているのが、他ならぬ自分自身の潜在意識のなせる業かもしれない……ということで、このセラピーを受けることを勧めていただいたのである。 久し振りにお聞きするrocoさんの声に誘導されながら、自分の深層心理と向き合う。 その詳細なやりとりをここで述べることは、あまり意味が無いと思うので割愛するが(例えば全く同じ悩みで他人がセラピーを受けたとしても、きっと私とは全く違った過程を辿るのに違いないので)、rocoさんとの一時間以上に渡るセッションの中で改めて感じたのは、私の自己肯定力の低さである。 私が本来持っている、きらきらした部分(長所)にさえ違和感を感じて、身体から濾過するように外へ出してしまっていたとは、驚いた。しかも、それが自分のものだと言う事すらすっかり忘れて「ああ、なんて綺麗なんだろう……」と、羨望の眼差しで眺め、「私はあんな綺麗なもの、持って無いよぅ、持つ資格も無いよぅ……」といじけていたとは……呆れ果てて物も言えないといった気分である。 rocoさんの誘導で、自分の体内にその「きらきら」を戻してみたが……常日頃、内側から光輝く、活き活きとした素敵な人間になりたいと願いつつ、いざその輝きを僅かにでも手に入れてみれば、どこか自分のものでないような違和感を感じる、それが自分のものである事自体におこがましさを感じる……この望みとは相反する心の動きは、一体どういったことなのか。 本当に、私は私を肯定する力が足りない…というか、私の短所として驕り易いという面があり、そちらの面が全面に押し出てきて「嫌な奴」に成り下がるの事を、殊の外恐れているのだ。実際、この「驕り」が原因で、過去の人間関係に於いて数々の失敗を重ねて来たし……それを繰り返すまいとする余り、僅かでも「自信」を感じ取ると、徹底的に叩きつぶし、根こそぎ引っこ抜こうとする……それが習慣化しているように思う。 相応の自信を持って光り輝きつつも、驕らず謙虚に慎ましく在る……それが私の理想とするところの人間像であるのだが、謙虚さも過ぎれば「卑屈」に変わる。私の現在の姿は、当にこの「卑屈」を具現化したようなものなのだろう(実際、セラピー中に客観的に視た自分は、黒いボロ布を纏って小さく縮こまっていた)。 自信を驕りに履き違える事無く、輝きに溢れた本来の自分の姿を取り戻すにはどうしたらよいか…取り戻すも何も、今の私のままでも充分、光輝く存在であるのだ……という自信を持つにはどうしたら良いのか…今回の心理セラピーを終えて、新たに得た課題だ。 幸いなことに、近々rocoさんの対面セッションの機会を得られそうである。次はこの新たな問題に焦点を当てたセッションを受けてみようかな……と、思った次第。 お友達の皆様へ。 以前ママイキの課題でお願いしたことがありますが、皆さんから見て私の長所や強みと思われる部分は何ですか? お聞かせ願えると嬉しいです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年01月27日 08時45分30秒
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