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ブラームスはお好き?

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2005年10月20日
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カテゴリ:ワグナー
 たまにはこの日記の看板どおりの音楽ネタを。
 
 ブラームス・シリーズはは管弦楽だけでも2つのコンチェルトと2つの序曲が残っているんだけど,ちょっと飛ばします。
 いくら「ブラームスがお好き」だと言っても年がら年中そればかり聞いているわけではないので。

 今日は先週買ったアバド=ベルリン・フィルのワーグナー・アルバムについて。

 このアルバムの構成は以下のとおり。

 歌劇「タンホイザー」:序曲
 舞台神聖祝典劇「パルジファル」:第1幕への前奏曲~第3幕への前奏曲~“聖金曜日の奇跡”~鳴り響く鐘と騎士たちの入場~パルジファルが聖槍を高く掲げる
 楽劇「トリスタンとイゾルデ」:前奏曲と愛の死
 楽劇「ヴァレキューレ」:ヴァレキューレの騎行

 アバドらしく,優れたコンサート・プログラムのような楽曲配置構成。
 ワーグナーの「静」の部分に着目したコンセプト・アルバム。

 静かな木管により開始を告げる「タンホイザー」序曲のテーマは,贖罪。
 快楽に溺れた過去を償うための宗教的贖罪の行進曲。
 木管から金管へクレッシェンドで受け継がれる吟遊詩人タンホイザーの主題を弦が責めるように上下にリズムを刻み異様な盛り上がりを見せる。
 アバドはベルリン・フィルという至高の楽器を使って,繊細かつ豪快にこの曲を仕上げている。
 松脂が飛ぶのが目に見えるかのような弦のハリ。特にヴァイオリンの軽やかで細かな動きはこのコンビ以外誰も真似できないものだ。天井知らずに朗々と歌う金管は,クライマックスでも絶対うるさくならず,常にノーブルな気品を湛えている。コントラバスのクッキリとした存在感も惚れ惚れするほど立派。

 「パルジファル」は,僕は今回ほとんど初めて真面目に聞いたもの。(クナッパーツブッシュの全曲版は一応持っているが,あまりにも重々しくて・・・)
 オペラの筋もなんとなくしか知らない。
 でも,いやはや,これは本当にすごかった。

 帰りの電車を降りると,そこは霞が関とはまったく違う世界。
 高い建物の及ばない閑静な東京の郊外。
 空は広い。
 折りしも,今夜は見事な月夜。
 僕はその月とその隣に浮かんだ人工衛星の光を見上げながら歩いていた。
 ときおりかかる薄雲に,月はその自らの光を静かにうつしていた。
 青白い光をにじませながら音も立てず動いてゆく雲。
 空気が乾いている。
 ふと,空全体を見渡すと,それはおおきな天蓋のように感じられた。
 アスファルトを通して足の裏から感じる地球は,まさにおおきな球体の大地のだった。
 いま,僕は,ここにいる!
ここで,僕は,生きている!
 こんな感覚は久しぶりだった。
 イヤホンから耳に流れる音楽は,この「パルジファル」。
 パルジファルの聖金曜日の音楽を通じて,アバド=ベルリン・フィルはこの僕にも小さな奇跡を起こした。
 
 低弦をあんなに美しく鳴らせるのは,彼らだけがなせる業。
 粘るけれども,もたれない。
 軽快だけど,響きは重厚。
 重厚だけど,動きは軽快。
 真に洗練された都会的な響き。
 
 「トリスタンとイゾルデ」の前奏曲は,いつも僕に湖(みずうみ)を思い出させる。
 絵画的には,カルロス・クライバー版のジャケットが僕のイメージに一番近い。
 不安定に揺れ動くさまは,静かな湖に何か不吉なことがもたらされた予感的な波の動き。宿命的な愛の中に陥ちていくトリスタンとイゾルデの心象風景。
 フィナーレの「愛の死」は,正確には「愛による死」。
 トリスタンはイゾルデが来た喜びのために傷口から血を流して死に(イゾルデはその傷を治すためにやって来た),イゾルデはトリスタンの死のショックのあまり精神錯乱を起こし死んでしまう。
 イゾルデが死んだトリスタンを抱きかかえて最期に見る幻覚を歌ったもの。

 ベルリン・フィルの前シェフであるカラヤンの耽美的・世紀末的妖艶さには一歩及ばないものの,生真面目で誠実,クールで熱いアバドらしさがよく出ている。
 アバドは,常に知的な緻密さをもって一本一本の糸を織り成すように音楽を作っていくが,ここぞという時には理性を忘れてついつい燃えてしまう人間くささを持っている。
 確かに彼はカリスマ性・スター性の点では前任のカラヤンや一つ前の世代のバーンスタインなどには遠く及ばず,どことなく「穏健派」のイメージが付きまとってきたが,カラヤン亡き後のベルリン・フィルは彼を選んで正解だった。(少なくとも,候補として取り沙汰されたロリン・マゼールや小澤政爾よりははるかにマシ)
 彼は芸術家としてはあまりに真面目で真っ当すぎるのだ。
 派手さがないので,自然その天賦の音楽性が目立たない。(彼の指揮したマーラーの第8番「千人の交響曲」を聞けばクラウディオ・アバドというイタリア人指揮者の非凡さがわかる。)
 彼の就任後しばらく,「ベルリン・フィルの音が変わった。」「ドイツ色がなくなった。」という批判が相次いだが,彼がやろうとしたことは,ドイツ云々という枠を超えた真に洗練された至高のオーケストラを作ることだった。(前のベルリン・フィルだって,「純粋ドイツ」には程遠く,立派に「カラヤン色」に染め上げられていた。カラヤンはザルツブルク出身のオーストリア人だったので,誰も文句は言わなかったのだろう。ちなみに,彼の血はギリシア系。ゲルマン人ではない。)
 僕はアバド=ベルリン・フィルの金色に輝く音が好きだった。
 このコンビはよくジャケットに黄金色を多用したが,そのイメージどおりの音を獲得することに見事に成功している。
 音が輝いている。
 そんなオーケストラが,史上始まって以来あっただろうか。
 2002年,アバドは任期満了により,惜しげもなく世界最高のオーケストラの音楽監督の任を降りた。
 その任にあった12年間,責任をきっちり果たし,やれるだけのことを全てやり尽くし,その上での彼らしい身の引き方だった。
 彼の勇退後,イギリスのサー・サイモン・ラトルがその後を襲った。
 鳴り物入りの就任だったが,僕にはまだラトルのやろうとしていることが掴めない。
 伝統的オーケストラの矜持(アバドでさえそれは例外ではなかった)はもう過去の遺物と言わんばかり。
 相変わらずテクニックはすごいけど,音が軽すぎる。
 ジャズもポップスも普通にやるから(そのこと自体腑に落ちない。なんでベルリン・フィルがジャズやポップスをやる必要があるのか),昔の人間からするとずいぶん無節操な音になっている。
 ベルリン・フィルは世界最高のオーケストラではなく,世界最高の「ビッグ・バンド」となってしまうのか。
 しかし,こうして世代は交代していき,時代は変わっていくのである。
 新しいものは奇異の目で見られ,古きよき時代を懐かしく思うのは世の常。
 ラトルもまだまだこれから。
 同時代に生きる者として,同時代の進歩的なオーケストラの姿を見守っていくこととしよう。(←おっさんくせー!)
 
 マエストロ・アバドの12年。
 終わってみれば,それも一つの時代。
 過ぎ去ってみれば,「カラヤン奇跡」と同じく,それも一つの歴史となった。
 アバドが築き上げたベルリン・フィルの黄金時代もまた,前任者に勝るとも劣らない「アバド奇跡」と呼んでもいいと思う。
 あまりにも当たり前のようにクールにカラヤンの後任をやってのけたので,だれもそれが「奇跡」だとは気づかないようであるが。
 だれかが言っていた。
 「いや,アバドは昔から凄かったんだ。だれも言わなかっただけだ。」
 と。
 
 最後は「ヴァレキューレの騎行」。
 ワーグナーの「静」のコンセプト・アルバムだったけど,この最後の一曲でベルリン・フィルが「動」のパワーを惜しげもなく豪快にぶっ放し,後味すっきりと締めくくってくれる。
 コンサートのアンコール的なボーナス・トラック。
 満足。


 
 ~報告~
 「バカの壁」は今日の補佐説明兼打ち合わせでカタがつきました。
 相変わらず「B29に対する高射砲」的発言が多かったですが,いかんせん旧式で精度が悪く弾もなかなか届かなかったようです。(たまに当たると地上で小さく喜んでいましたが,こっちは整備万全の最新鋭爆撃機。むざむざ墜落などするものか。)
 しかし,のべ3時間に及ぶ激論の末,
 「この話は止める方向ではなく,進める方向で議論をしよう。」
 という補佐の一言で高射砲はピッタリと止みました。
 その後の建設的な議論の末,必要な修正を加えた上,プランを実質的に進めていくことになりました。
 補佐の一言からその決定まで,所要30分足らず。
 建設的議論に移ってから高射砲の発言は最後の空砲一発のみ。
 「特に意見はありません。」
 勝った。
 
 





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Last updated  2005年10月21日 10時41分42秒
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