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テーマ:好きなクラシック(2316)
カテゴリ:ワグナー
今回の異動については,遠距離結婚という僕たちの事情を最大限配慮してもらったもので,あらゆる方面からあらゆる方々のお力添えをいただいたもの。
これはもう,もろ手を挙げて喜ばねばならない・・・はずなのだが, 僕は元来臆病な人間に出来ていて,現場へ帰る期待と不安の中では,どうしても不安の方が勝ってしまう。 「官房業務なんて,施策立案もせず原局にあーだこーだといちゃもんつける割には何の責任も取れなくてただ単に他省庁と原局の間に立って偉そうに立ち回ってるだけのつまらない存在さ。」 「局なんて,現場の苦労も知らず机上論でものごとを片付けてしまう非情な存在さ。」 などと普段からうそぶいてはいたものの,いざ現場に帰るとなると,いままで馬鹿みたいに思えてきたこの環境を離れることに,躊躇と違和感を感じる。 今まではメールと電話で仕事をしてきただけに(カウンターパートと言えども面と向かって対決することはほとんどない),現場で生身の人間と接することに「果たして僕に勤まるのだろうか?」という,漠然とはしているが,大きな不安がある。 ここ霞が関にいることに違和感を感じつつも,僕ももうすっかり「霞が関のお役人」になってしまっていたのだろうか・・・ 僕はもともと「現場」の人間であったはずなのに。 でも,その「現場」でなにをしてきたのか,と言われても,自信を持って言えるような経験はないんだよなぁ。そういう意味では,霞が関での4年間は痛かった・・・ そもそも,僕にはプロ意識というのが希薄なのか,なにをやっても中途半端で不完全な仕事しかできない(ような気がする)。 そんな僕に今の厳しい現場が勤まるのか? 曲がりなりにも部下ができるというのに。 ああ。(はい,以上,愚かな独り言です。) そんな訳のわからない不安を無意識に紛らわそうとしたのか,僕は昨夜ちょっと早い時間から飲みすぎていた。 そこへヨメさんから電話があり,上記訳のわからない支離滅裂な愚痴めいたことを言ってしまった。 「九州に帰りたいような,帰りたくないような。」 来年度の同居ために,各方面のいろいろな人にお願いし,その人たちのあたたかいご配慮のお陰様をもっての今回の内々示(意向打診)だったのに,当の旦那がなにを今さらそんなことを!と思ったに違いない。 反省。 不安は不安。 でもその不安材料は既に折込済みの話だし,自分の中できちんと解決すべきもの。 不安なら,今のうちに必死に勉強して準備しておけばいい。 それだけのはなしなのに。 まだまだ僕は幼稚だな。 今日の帰りの電車で,たまたまブラームスのシンフォニーの空きトラックに入っていたシューリヒトの「ジークフリート牧歌」を聞いた。 しみじみと,素朴に,そして安らかに,愛する人の存在を確かめるかのような幸福な微笑みの音楽。 ワーグナーが,その妻コジマの誕生日に贈ったもの。 小さなオーケストラを自宅の階段に配して,この音楽でコジマの誕生日の目覚めを誘ったのだという。 この「ワレキューレの騎行」の作曲者と同一人物の作品とは思えない,聴き手をまるで羽毛で包みこむようなこの音楽を聴き,僕は静かに大事なことを思い出した。 なにも不安に感じることはない。 僕には彼女がいるじゃないか。 今夜,僕にヨメさんの存在の大きさを再確認させてくれた,シューリヒトの「ジークフリート牧歌」でありました。 朴訥なイントネーションが,不安に震える人の心の琴線にふれます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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