カテゴリ:地域参加的生活行為
【中古】大山村史 史料編 宮川満編 昭和39年 兵庫県 発行:丹南町大山財産区 ウチの近くには、古墳があって、それは日本の古い農村地帯に珍しい事では 無いように思うが、 関西地方なので、しかも、京阪神には近いところなので 歴史の宝庫と言えば言えるかもしれない。 そのすぐ近くの古墳の入り口には、プレートが立ててあり、 説明書きがある。 こちらに来て最初に見つけたのが、この、「三つ子塚古墳」のプレートだった。 犬の散歩でご近所をウロウロすると、次々とその同じプレートが 古墳ではない、お寺でもない、神社でもない所、、川の傍とかに立っている。 何が書いてあるのかと、読めば、、 「大山荘園」などという文言があって、この地は、京都の東寺の荘園で、、 807年頃、・・とか書いてある。 1807年じゃなくて、807年だ。 それを見つけた少し前に、近くの大乗寺、というお寺に登った時、 たまたま、若いお坊さんがおられて、話をした。 ココのお寺の開祖は、大化の改新前後!などというとてつもなく古い歴史の 文言が記されていたりしたもので、。 仏教伝来は、、えーっと、、。 大化の改新は、、えーっと、。。645年か?くらいの知識しか持たぬあたしは、驚いた。その時お会いした若いお坊さんは、「高野山から派遣されて来ております。」と言われたものだ。結構、格式高いのね。とかは、思ったが、それだけのことである。 ま、とにかく、、古いのである。 後日、この807年の立札のことを何かの集まりで話したとき、 へえ、そんなことあったんけー。と、皆様ご存じなかった。のも、 覚えている。 しかしさらに後日、地元の歴史研究家のお話を聞く機会があって、 彼は、870年代の数字を口にされて、その時あたしは、 プレートには確か、、807年と書いてありました。と発言し、 それはあなたの見間違いですと、即座に否定され、、いやあ、、 確かに807年、の数字を読んだのだが、プレートの写真を撮っているわけじゃ無し、むむむと、ヤな気分だった。ま、その時の歴史のお話も最後まで聞いたのだが、あたしは、その、否定されたことを根に持っており、またまた後日、現場に行って確認した。なんと、書き直してあったのだ!面白いでしょう?? 以上本題とは関係ありません。 1000年以上前なので、70年の誤差は無視するとして(?)、 東寺の荘園。 さすが当時。じゃなくて、東寺。美味しいものには目がない。(とか思った) 百合文書、というのがあって、ごく最近も更にたくさんの古文書が 発見されたか、研究が進んだかして、少し有名になった。 そこには、大山の荘、のことも沢山保存されている。 東寺と、大山とのインボイス、である。 この、連綿とした東寺とのつながり、、実は今の時代にも生きていて、 毎年、小学校6年生の児童は、東寺に遠足、と決まっているのだ。 普通の遠足じゃないんです。それが。 ちゃんと、正式なご招待で、東寺の今の一番偉い方にも 謁見(とは言わないか・・)するのです! そんな、格調高い遠足を経験できるって、、すごいね。 昨日、その遠足で、小6の英語教室はお休み。 宿題を出しました。 遠足の途中で、発見した英語表記の案内板をうつしてきてください。というの。 さて、彼らは、どんな経験知を獲得するのだろう。 東寺百合文書(8(ニ函 3・ホ函ヘ函・ト函) [ 京都府立総合資料館 ] お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年07月13日 06時20分28秒
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