my love, do you know...
♪かみのみこはこよいしも・・・父親はクリスチャンであったので、両親の結婚式は扇町教会の中路牧師が取り仕切った。オイラはYMCAの少年キャンププログラムには常連。父が今の六甲山のセンターがまだ、深い森であった頃、オイラを連れて行ってくれてるから、サマーキャンプは御年、3歳からのキャリア。日曜学校にも少しは行ってたので、賛美歌を覚えた。洋画に出てくる教会のシーンは、だから御馴染み。クリスチャンではないが、賛美歌を歌うのは好き。特に、クリスマスの歌は好き。小さい頃には大阪江戸堀の今はもう無いけれどYMCAの建物によく通った。昭和26・7年の頃、その建物の匂いが大好きだったなー。この建物、取り壊しの反対運動も一定あったかに聞いている。どうして?壊すのか。理解不能。六甲山のサマーキャンプで、毎年楽しみだった事はテンコモリだけど、中でも中ノ島ごっこは最高だった。勝手にそう呼んでるが、このキャンプ場には池があり、真中に10平米位の島がある。こないだ行った時、確認した。あった。だから、夢ではない。この島と、岸の間にロープを渡し、そのロープはとても高い所にあって、滑車を使い、岸から中ノ島まで、ピーターパンのように移動する。一日中やってた。こういう遊びは、一生の思い出。大人になり、現場を見て、こんなに小さい池、島、距離、だったのかと嘆息した。当時は自分の体躯も小さいから、大きく感じたのかもしれない。だって、ここでは、ボートレースもしたんだ。スケートだってした。中津のスケート場に通い、小学校2年の時から仕込まれた。普通は手を引いてくれると思いきや。父はオイラをスケート場の中央に置き去りにして遠くで、おいでおいで。足元を見るな!遠くを見て。遠くを見て。遠くを見て・・涙で字が霞むじゃないか。もうやめる。彼は大正8年生まれ。甲種合格を自慢にしてた。少尉として、中国で戦争をして、帰国。家族が北海道に疎開して、そのまま居着いていたので、一人で大阪に帰ってきた。出奔なのだろう。野田阪神の辺り、矢頭えもしちと言う四十七志の墓の近く、生家はここと示して、ああ、もう無いなー。と呟いてた。中学校2年の時だ。案内された方は、(子供として)感慨は無い。横道に逸れるのが、この日記の特徴。ご容赦。さて、かのキリスト、厩でお生まれになり、同じ土俵で、論じるのはこれも、ご容赦!と、予め申し上げます。でも、オイラにすれば、そんな心境。手持ち資金も無く、昨今の環境、それでも、何度も、こういう心境で新しく事を始めたもんだ。個人のレベルでいろんな事をしてもそうですか。の程度。ましてや、オンナ。夫曰く、おめでとう。いよいよですね。定休日なのだがいくつかの支払いが今日になって、(そういう程度の経済活動)早めにそれらを片付けて、税理士を待ち、自分で法務局に出向いて、法人設立の申し込み?を致します。ハイ。あ・すみからすみまでええ、あ・ずずずいいっーと。おんねがいいい、たあってまあつうりいまあす。m,(_ _).m