★道具のはじまり 道具 その1
頭巾をナナメにかぶっているのがお洒落♪な、園城寺のお地蔵さま。。↑ユっぴー・コスモスです。 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→『月刊こすもす』(内山地区にプリントショップ・コスモスさんが配布している地域新聞)の、10月号に掲載された、内山在住、羽毛田(はけた)卓也さんの、地元の歴史・自然エッセイで~す。(Web上で読みやすいように、ユっぴーが改行・行空けしています。) ★見てね♪ → ★羽毛田さんの、自然・歴史エッセイコーナー★今回は、道具のお話。さて、古代の人達が使った道具って、どんなのだったのでしょう♪ --- 道具のはじまり 道具 その1 ---今回からしばらく、道具の話が続きます。先土器時代から弥生時代ごろまでの内容になります。人間が一番最初に使った道具は何でしょうか。皆さんも考えてみてください。お茶の間の話題にしてみてください。想像できましたでしょうか。加工したものはだめですよ。加工するために道具を使いますから、最初に使った道具にはなりません。衣類を着用していないゴリラやオランウータンを想像してください。さあ、どんな道具を使い始めたでしょうか。答えの前に、「アイスマン」を紹介します。日本では縄文時代の中ごろである5,300年前の服装が判明したのですが、皆さんの頭の中にあった縄文人のイメージがちょっと変わるかもしれません。 ~~~~~~~~~~~~ アイスマン 1991年9月19日、標高約3,200mのオーストリアとイタリア国境の チロリアンアルプスのエッツタール渓谷で、 溶けかけた氷河の中から死体が発見されました。 これが当時のビックニュースとなったアイスマンの発見です。 当初は現代の遭難者として法医学教室に運びこまれたのですが、 古い時代の遺体であることが判明して、 すぐに解剖学教室へと移されました。 遺体は炭素の放射性同位元素分析の結果、 今から約5,300年前のものと判明しました。 アイスマンは身長159cm・体重40kg・脊椎付近と両足にイレズミを持つ 年齢46歳と推定される男性でした。 服装は鹿・カモシカ・ヤギの皮で作成された衣類と樹皮繊維で編まれたコート、 内部に草を充填(じゅうてん)した皮製の靴、毛皮の帽子でした。 またイチイ製の弓と皮製の矢筒に入れられたガマズミ製の14本の矢、 木製の柄のついた銅製の斧、フリントロック製の短剣を所持していました。 死亡時期は初夏で、死因は同族(体内に残された矢の形態から推定)により 近距離の背後から矢で討たれた(肩甲骨が粉砕されるほどの強度) ことによる出血死であった。 通常氷河のクレパスに落ちた人間を含めた動物の遺体は、 氷河の移動とともに粉砕されてしまいます。 アイスマンは気候の緩み始めた初夏に死亡し、やわらかい雪に覆われ、 冬に向かい徐々に凍結し、 その遺体が偶然にも氷河の中の岩の割れ目に入ったために 粉砕を免れるという偶然がいくつか重なったために、 死亡時の状態を良く保って発見されました。 さて、5,300年前というと日本では縄文時代の中期になります。 そのすべてが当てはまるわけではありませんが、 初夏の服装は参考になると思います。 毛皮を羽織っただけで裸同然に描かれてきた日本の縄文人とは ずいぶん違います。 実際には真夏や南国でない限り、縄文人もこのような服装であったと思われます。 ~~~~~~~~~~~~さて、道具の話に戻りましょう。結論は出ましたでしょうか。普通に内山の山の中にあるものです。それは木の枝と石です。野生のチンパンジーが枝や石を使用しているのをテレビ等で見たことがあるかと思いますが、まさしくそれです。それから百万年以上たってようやく加工した道具を発明します。佐久で最古のキャンプサイトは約3万年前で、人類はその百数十万年間にいくつもの氷河期と間氷(かんぴょう)期が繰り返す劇的な気候変動を潜り抜け、驚くべき進化をしました。類人猿もどきが、道具を使い、火を使用し、衣類を作り、死者を弔(とむら)い、ついには二次加工した道具を使用するようになったのです。この百数十万年間にいったい何があったのでしょうか。そこにはいまだ解明できない謎があるのかもしれません。 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→