|
カテゴリ:哲学的お悩み&お笑い
人は、目とか耳とか本とかPCのディスプレイとかから得られる情報だけでは、物事の真実を判断することは出来ないとカントは考えた。
(かどうか、知りませんが) たしかに、キャバクラ嬢の愛想のいい笑顔や、 「わぁ~、来てくれたんだぁ♪すっごい嬉しい☆すっごい会いたかったのよぉっ!」 そんな言葉を額面通りに受け止めるのは愚かなことです。 しかし、社交辞令や営業用の笑顔と解っていても悪い気はしない、というのも一面の事実です。 「どうせ、仕事だから愛想よくしてくれているだけ」と冷ややかに受け止めても良さそうですが、あえてそうしないでニヤけてしまうのは、カントが言う『自由意志』の働きなのでしょう。 カントは必然の支配を受けない自由意志こそ、人間の尊厳の源と考えました。 人間の尊厳に関わるとなれば仕方ありません。 尊厳を守るためにも、存分にニヤけざるをえないのです。 また一人の女の子に通いつめて仲良くなると、愛想よくされるだけでは満足できなくなるのが常です。 キャバクラ嬢もそのあたりは心得ていて、上客と見込んだ客には、あえて疲れた顔を見せて、「マッケンジーさんの前だと、仕事を忘れてリラックスできちゃうのよね~」なんて言ったり、わざわざぞんざいな口調で話したりして、「あなたは特別な人」感を演出したりするのです。 いったい何を信じればいいのか分かりませんが、それでもやはり、男が目指すべきは、彼女達の言動の中に「仕事を越えた部分」を見つけ出すことです。 「いくら仕事でも、彼女だって、時には本音を見せてくれるはず。本音を見せてくれるのは、自分に特別な好意を抱いているから」 「さっきの態度や言葉は、けっして演技じゃない!」 こうした可能性の存在を信じられない男は、キャバクラに行く資格はありません。 (そういう人は最初から行きませんが) カントも、『限界がある人間の感覚器官で認識できないからと言って、神が存在しないという証明にはならない』と言っています。 キャバクラにおいても、「仕事を超えた部分」のように見える言動が、果たして真実かどうか証明する必要はありません。 ただ、無心に全力で信じればいいのです。 「俺は特別な存在だ」 「俺には素顔を見せてくれている」 「俺に好意をもってくれているかも知れない」 と。 『イワシの頭も信心から』ならば、『女の子の愛想も信心から』です。 そもそもキャバクラで男が追い求めている「成果」とは、いったい何でしょうか。 「もちろん、狙った女の子を口説き落とすことだ」 と力説する方は少なくないでしょう。 その日を夢見て、男は足しげく店に通い、プレゼントでご機嫌をとり、アフターで高いお寿司をおごったりします。 果てしない散財ですが、それでも口説き落とせるとは限りません。 カントは、周囲の目や、見返りを期待するのではなく、『自分がやりたいからやる』『好きだからやる』という純粋な動機で行動してこそ価値があると考えました。 たとえば、海で溺れている美人を反射的に助けるように、“下心や欲得抜きで”行為そのものの尊さに基づいて行動させる道徳法則のことを『定言命法』と名づけています。 (どこかの宗教用語みたいですが) 人は定言命法に従って初めて、自由な主体となるというのです。 (まったく意味が理解できませんが) 要するに、口説き落とすという結果は二の次で、入れあげたいから入れあげる、という境地になれたとき、我々は真の意味でキャバクラを楽しめるのです。 「成果」を求めるのではなく、「入れあげたい」という『定言命法』に従うことが尊いのです。 とは言っても、首尾よく成果が挙がってしまう可能性も無くはありません。 そのときは、「ああ、これでは自由に楽しんだことにはならない」と言って、自分で自分を非難しなければならなくなります。 しかし、自分自身の非難なんて、痛くも痒くもない、嬉しい状況でもあるので、どっちに転んでも大丈夫なのは言うまでもありません。 またカントは、『他人も自分も、手段ではなく目的として扱え』と言っています。 これも私なりに解かり易く解釈すると、『欲望を満たす手段として女の子を見るのではなく、女の子に欲望をかき立てられること自体が大事である』ということではないでしょうか。 お互いがお互いを目的としている関係が成り立つとき、(私は『愛』か『打算』が生まれると思っていますが、)カントは彼が理想とする『目的の王国』が生まれると言っています。 (なぜか『目的の王国』という言葉に、夜の繁華街の匂いを感じます) 欲望の世界においては、とかく『目的』ばかりが空回りしがちです。 徒労感や無力感に打ちのめされたときには、「これでまたカントの理想とする境地に一歩近づいた」などと思ってしまうことで、力強く立ち直りましょう。 間違っても、迂闊に『目的』を遂げてはいけません。 とくに、ゆりちゃんに対して、私以外の男には、けっして許されることではありません。 ≪註≫ 実は私は「キャバクラ」なるものに行ったことがありません。 そもそも私の住む街に存在するのでしょうか。 聞きかじった上っ面の知識に、適当な当て推量(と仮名)で書いたに過ぎません。 今回の件を検証するためにも、ぜひ誰か私を連れて行って下さい。 もちろん、勘定もお願いします。 【イマヌエル・カント】 よく分かりませんが、史上もっとも偉大な哲学者の一人。 几帳面なタチで、毎日、決まった時間に散歩するカントを見て、街の人は時計の針を合わせたとか。 しかし、けっしてカタブツなわけではなく、話好きで明るいキャラだったらしい。 ちなみに、彼は一生独身でした。 (夜の街を散歩していたのでしょうか) ところで、カント自身が『コペルニクス的転回』と言った“認識”とは、たとえばキャバクラ嬢が「大好き」と言った場合、本当に大好きかどうかは問題ではなく、言葉の意味は聞く側が勝手に決めるもので、それこそが“正しい認識”であるというものです。 解かりにくいので、私の解釈で簡単に言うと「世界は自分の解釈(勘違い)で作られる」ということです。 この考え方に立つことで、この世界は何倍も楽しくなりそうです。 (悲しくもなりますが、そこは考え方一つということで) 夜の世界も楽しくなるでしょう。 ちなみに私は、ゆりちゃんと二人きりの世界(目的の王国)で楽しくしたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[哲学的お悩み&お笑い] カテゴリの最新記事
|