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カテゴリ:哲学的お悩み&お笑い
望んだ通りに、思うままに生きることができたら、どんなにいいでしょう。 せめて、望み通りの仕事に就けたら、と考えてみました。 そもそも職業というものは、計画通りに選べるものでしょうか。 計画通りに辞職することは可能でしょうが、計画通りに職業に就くのは、計画通りに結婚生活を送るのと同じくらい不可能だと私は思います。 現在、私の職業は貧乏な経営者ですが、このような状況を、若い頃には夢にも思いませんでした。 特に“貧乏な”状況になることは、断じて想像もつきませんでした。 ただし、夢想だにしないまま現在に至っているものもあります。 (ハリウッドスター、アメリカ大統領、トンガ国王などになるのは、いまだに想像もつきません) 逆に、夢想していた職業に就いたためしは一度もありません。 これまで多くの職業にあこがれました。 子どもの頃は、学校の先生、病院の先生、科学者、小説家、画家、お金持ち、仮面ライダー、忍者、スパイなどになろうと思いましたが、どれも実現しませんでした。 単に憧れていただけではありません。 努力できるものについては努力も払いました。 例えば、科学者になろうとして「学研」の『かがく』と『がくしゅう』を定期購読していましたし、忍者やスパイになろうとして、よその家に忍び込んだものです。 思春期になってからも、医者になろうと思い、解剖学の本の女性器の項目を凝視したのですが、夢は実現しませんでした。 この結果、解ったことは、 (1)私は体力や才能が必要なものには向いていない。 (2)どうやったらなれるのか分からない職業(科学者、お金持ち、仮面ライダーなど)や、どんな仕事をするのか分からない職業(科学者、お金持ち、仮面ライダーなど)は、いくらなろうとしてもなれない。 (3)どんな収入があるのか分からない職業(科学者、お金持ち、仮面ライダーなど)には、なりたくない。 の三点です。 その後も挫折は続きました。 大学受験では一浪のうえ、滑り止めの大学にしか合格せず、就職はしたものの、出世も昇給もせず退職した後、未だに就職せず、借金だけが膨らんでいる有様です。 素晴らしい女性と共に人生を過ごすことを夢見ていましたが、失敗でした。 ダイエットも失敗続きです。 世の中の成功者や実存哲学者は「人は自ら望んだものになる」と教えてくれますが、私は、むしろ「人は望まないものになってしまう」と言いたい。 ・・・しかし本音を漏らすと、どうも実際は違うようです。 もしかしたら、少しは望んだものになれるのかも知れません。 多くの文献や書籍を探るまでもなく、成功者は一様に「願えば叶う」と述べています。 「成功したから、『成功を願って成功した』と言えるのだろう」と思ったら、違うらしいのです。 深層心理や潜在意識などの話はここではおいておくとして、たしかに私の希望の一部は、叶ってしまいました。 あなたもそうでしょう。 一部を取り出せば、望みが叶った部分もあるのではないでしょうか。 (「カタカナを読めるようになる」など) ただし、対人関係には応用が困難です。 他人を変えることほど難しいことはありません。 ためしに、クライアントの佐々木さんに「仕事の金を三十年分、前払いして」と頼んだら、あっけなく断られてしまいました。 結論その一。 「人は望んだものになることはできても、他人は望んだ通りにならない」 結論その二。 「人は望んだものになることはできても、お金は望んだ通りにならない」 【註釈】 このページには、将来ある若者が訪れるため、教育的配慮を鑑みた結果、論旨が一貫していないことをお断りしておきます。 結論その三。 「人は望んだものになることはできても、主張は望んだ通りにできない」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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