2011年十大ニュース
まだ、一年をまとめるには早すぎますが…、大晦日まで大忙しの予定なので年内に書けるのは今日だけ?ということで、フライングして書いてしまいます。【1】東日本大震災。復旧活動に追われる。震災直後から休日返上で緊急性のある物件の撤去&修復工事に追われ、走る時間がなくなったのと仕事の疲労と震災のショックで走る気力が萎えてしまった。参加予定だった3月~5月の大きな大会のほとんどが中止。10回完走になるハズだった野辺山100kmも中止。これだけは完走を死守するつもりだったのでショックだった。【2】『神宮外苑24時間チャレンジ(24時間走)』で大失敗。自他とも今までの24時間走で一番期待が大きく、一番大崩れした大会だった。いろいろな面で自分にプレッシャーを掛けたのが裏目に出てしまったのかもしれない。中盤以降の踏ん張りどころで何もかも上手くいかず、そのまま終ってしまった。精神的ダメージがとても大きく、もう24時間走は走りたくないと思った。【3】『日本24時間インドアウルトラマラソン』で232.305km走り、準優勝。走りづらいコースだったが、代表選考大会ではないことで気楽に走れたのと、充実したエイド&素晴らしいスタッフたちのおかげで、24時間走としてはセカンドベストだった。(サポートなしでは自己ベスト)いつもの胃腸障害や胃痛はあったが、神宮外苑の時のように歩けなくなるまで追い込まなかったのが良かったのか、ゆっくりでも最後まで歩かずに走れた。【4】体調不良で走った『さくら道国際ネイチャーラン』(250km)を完走。走り込み期の最初の日に肉離れを起こし、約1ヵ月休養を余儀なくされた。その後、リハビリを始めた頃に震災の修復作業で忙しくなり走り込みなし&前日は徹夜での参加となってしまった。完走できるか不安だったが、苦しみながらも完走でき、とても嬉しかった。【5】『山口100萩往還マラニック』(250km)を初サブ36で完踏。前回は睡魔に負けチェックポイントでのパンチ忘れをしてしまい、ゴールしたものの失格。その後は、2年連続で24時間走の世界大会と時期が重なり不参加だったこともあり、自己ベストでの完踏に燃えての出走だった。2週間前に走った『さくら道国際ネイチャーラン』の疲れが残っていたが、いいタイムで完踏でき大満足。10回完踏まであと3回。【6】『雁坂峠越え秩父往還143km走』を初サブ17。2位。毎度、100km以降は胃腸障害で大失速していたが、今回は練習として気楽に走ったのが良かったのか、最後のエイドの名物のミニいくら丼をも初完食。トラウマになっていた最後の区間を快走し、2位でゴールすることが出来、大満足&とても嬉しかった。【7】『サロマ湖100kmウルトラマラソン』(100km)を初サブ8。中盤以降は前後にランナーがほとんどいなくなり、孤独でとても辛かった。なんとか昨年のリベンジを達成することが出来、かつ、サロマンブルーメンバーの中でトップでゴールだったことが嬉しかった。【8】『しらさぎマラソン』(10km)と『さのマラソン』(フル)で初の年代別優勝。どちらの大会も参加者の少ないローカルな大会ではあるが、どちらも初の年代別優勝だったのでとても嬉しかった。【9】『富士登山競走』(山頂の部)を初サブ4。後方のブロックからのスタートというハンデがあったが、予想よりもいいタイムで山頂に立て感極まって泣いた。上りだけ&高地の苦手なコースで、ある程度評価される(馬鹿にされない?)タイムで完走できたことが嬉しかった。【10】3年間所属したチームを脱退。24時間走世界大会で戦うために入った憧れのチームだった。昨年の代表落ちが決まりチームへ貢献する手段がなくなったことや、チーム内でずっと背伸びし続け心身ともに疲れていたこともあり、1月末に脱退。仲良くなった人の輪から抜けたことは寂しかったが、脱退してほっとした。【総括】震災では不幸中の幸いで甚大な被害はなく、ほぼ普通の生活を送ることが出来ましたが、その後の、物流の停滞、電力不足が復旧活動に大きな障害になりました。これは、2011年単発のニュースではなく、生涯の十大ニュースに入ることでしょう。走る方では、良くも悪くも"プレッシャー"に翻弄された1年でした。プレッシャーを上手くコントロールできた大会ではいい結果が生まれ、度が過ぎた大会で大失敗。走る以外のプライベートのこともそうだったかも?来年は、良くも悪くも大きな背負うモノ(目標は来年、書き出します!)はないので、いい年になることを期待します!(爆)ホドホドに、かつ、時に大胆に、生きていこうと思います。では、良いお年を~♪