騒音でなく煩音 公園訴訟考察
かねてより興味のあった問題をNHKが取り上げていた。公園の騒音問題。煩わしい人と煩わしい人の為に煩わしい人。顔の見えていた公園利用者がどこの誰ともわからぬ侵入者になる。自治会や町内会に入らず公園の清掃にも現れない。音の煩わしさは音の大きさによる騒音でなく煩わしく感じる心理によることが大きい煩音(はんおん)だと。カエルの声は蚊を食べ実りを想像させるもの。風鈴の音は町の隅まで風が届くよう知らせるもの。マンションの駐輪場横に後から家を建て一年過ぎた頃に駐輪場のバイクの主に「静かにして欲しい」と言った。8時と21時にしか音を立てない通勤250(にーはん)利用者は後からきたくせにと憤慨しながらそれでもエンジンを切り公道まで押して歩いた。数ヶ月後声をかけた家主の主人が亡くなった。末期癌のため自宅に帰ったが眠れぬ日が続いていた。葬式に参列した私がそのこと知り、バイクの主に伝えると押して歩いて良かったと言いながら今でも押して歩いている。音の向こうにある想像の向こうの私達の感情。聞こえるのは豊かな想像力と良好な関係であって欲しい。