|
カテゴリ:自分のこと好きですか?
貴方の周りに「こんなはずではなかった」という人いませんか?
でも「こんなはず」な状況にしたのは自分でなく他人だけでしょうか? 「こんなはずではなかった」とはいい意味でも悪い意味でも言われます。 いい意味では予想外な流れで来てしまったけど幸せな人。 悪い意味では全然そういうつもりが無くても状態が悪くなった人。 いい意味はともかく悪い意味の方は実は其の人の意志が弱いだけの場合があります。 もちろん何故か雪達磨式に不運が積み重なってしまってとんでもない渦中にはまってしまった人も中にはいますが。 悪い意味で「こんなハズではなかった」人の話を聞くと必ず共通して出てくるのが、人に言われた事を鵜呑みにして、自分の頭で考えず行動を起こしていないことです。 「誰かに言われたから」 「こうした方が良いっていわれたからやったのにひどい」 こう言う話を聞くたびに私が思いました。たまには直接本人に言った事もあります。 「でもそれを聞いてやりたいと思ってやったのは貴方だから自分にも責任があるでしょ?」 しかし彼女達はそうは思いません。 「絶対大丈夫って言ったから、言った○○さんが悪い」 とほとんどの人は責任を転嫁してしまうのです。 どうしてこの人たちは責任を転嫁したがるのでしょうか。 私が思ったのは自分が失敗をしたということを正面から受け入れる事が出来ない心の弱い人たちだということでした。 でも何故自分の失敗を認めたくないのでしょう。 以前書いたと思うのですが、私たちは「親の都合の『いい子』に育つ」ように育てられている場合がほとんどです。 ここで言う『良い子』はちゃんと正しい事をして、周りから好かれて、失敗しない、親が自慢できる子です。 其の場合「自分が失敗した」事はすごく怒られますが「他人が原因で失敗した」のは怒られ無いどころか同情して貰えるのです。 そうして親に対する処世術のまま社会で物事を行ってしまうのです。 でも人間の社会では「自ら蒔いた種は自らが刈り取る」のが掟です。 誰に言われようと自分がやった以上その結果がどうなろうとその結果は自分で受け止めるのが当然です。 「こんなはずではなかった」という人はたいていの場合は自分の意思で物事の流れに任せているのです。 本当にどうにかしたいのならいくらでも選ぶ道はあるはずなのです。 いつでも自分の意思で変えれるのです。 ただ自分の意思で物事を変えて、上手く行かないことを怖がっているだけなのです。 (もちろんそうでない状況に追い込まれて選ぶ道が無い人もいますが、ここでは一般論で話をしています) ところで「こんなはずではなかった」という貴方、本当は「どんなはず」でしたか? 「どんなはず」か分からないという貴方はただ悲劇のヒロインぶって自分で自分を哀れんでいるだけです。 今すぐそんな非生産的なことはやめて「どんなはず」ならいいのか考えてみましょう。 「どんなはず」が分かっている貴方はそれをどうやったら実現できるか考えましょう。 最初から「出来るわけが無い」と諦めてしまっていてはいけません。 物事に「今更遅すぎる」ということは余りありません。 何歳からでもどんな立場からでも本気で願えば必ず出来るのです。 次回は「今更遅い?」です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.09.10 23:17:04
コメント(0) | コメントを書く
[自分のこと好きですか?] カテゴリの最新記事
|